手の動きに委ねることが安心へ
忙しく過ごしていた数十年間は、頭がすべてを完全に管理していて、手の動きも指示しているのだとずっと思いこんでいた。その流れを逆転させるなんて、思いもよらなかった。でも、編み物をするのがまさにそれだ。かき乱されている頭を後部座席にシートベルトで固定し、しばらく手に運転させる。編み物は不安から気を逸らしてくれて、最低限の安心感を与えてくれる。針を手にとると、いつも役割が入れかわるのを感じる。指が仕事をして、頭があとについていく。
悲しみと挫折感の先にあるもの
不安よりも小さく、心配と怒りよりも小さくて、押しつぶされるような無力感よりも小さなものに、わたしは身を委ねた。小さく正確な動きのくり返し。その何かが、音を立てる針の穏やかなリズムが、わたしの頭を新しい方向へ動かした。わたしを確かな道へ連れていった。
その道は破壊された街を出て静かな山腹をのぼり、もっと眺めのいい場所へつながっていた。
道しるべのいくつかをまた見つけられる場所。わたしの美しい国が見える。隣人を助け、エッセンシャル・ワーカーの犠牲に感謝して、子どもの世話をする人たちの、親切と思いやりがある。黒人の死がこれ以上ひとつも見逃されないようにしようと固く決意し、街頭デモをする大勢の人がいる。たくさんの人が投票すれば、新しいリーダーが生まれるチャンスがある。
それに、わたしの希望もまた視界に戻ってきた。この静かな視点から、わたしは悲しみと挫折感の先にあるものを見て、失っていた確信を捜しあてることができた――適応し、変化を起こして、乗りこえる力がわたしたちにはあるという信念を。わたしの思考は、父へ、サウスサイドへ、ママへ、それより前の先祖たちへ向かっていった。長年のあいだにみんなが繕い、修理し、運ばなければならなかったものを考えた。
それぞれの信念は、子どもや孫の人生がもっとよくなると信じる気持ちから生まれていた。その格闘と犠牲を尊ばなければならないんじゃないの? アメリカ人の生活の中心にある不公平を、少しずつ崩しつづけるしかないんじゃない?