おだやかで痛ましい寝顔

同僚はわたしからの急な電話に、あわてて着替えでもしているのか。それほど遠くはないはずなのだが、姿を現すまでの時間は長かった。待っているうちに、彼女は膝枕のうえで寝息を立て始めた。日ごろの疲れがたまっているのだろう。おだやかな寝顔がむしろ痛ましい。まだ中学生くらいの子ども。街中を歩いている学生たちと、なにも変わらない寝顔。

同僚を待ち続ける時間はねっとりと長く、苦痛であった。やがて遠方から同僚が歩いてくるのが見えたとき、粘っこく張りついた空気は霧消し、わたしは安堵あんどした。ところが彼のほうはといえば、わたしに気づくと驚いたように駆けよってきた。

「これはどういうことです」

どうやらわたしの膝枕状態を誤解してしまったらしい。わたしは誤解を解くよりは事情を説明したほうが早いだろうと、彼にこれまでの経緯を話した。彼女も目を覚まして、彼を見上げた。

「今、この子を引き受けて責任とれます?」

残念なことに、話はわたしの思いもよらぬ方向へ進んでいった。彼は彼女にではなく、わたしに向かって説得を始めたのである。

「難しいですよ、やっぱり。たしかに、この子は厳しい立場だと思います。でも今、この子を引き受けて責任とれます? なにかあったらどうするんです?」

沼田和也『街の牧師 祈りといのち』(晶文社)

彼女の顔がこわばりはじめた。彼女は立ち上がり、わたしと彼との論争を、こぶしを握って聴いていた。

わたしは彼と論争しながら、ちらちら彼女のほうを見る。

「いや、だいじょうぶだから。必ずなんとかするからね」

だが、もうだめだった。彼女とわたしとのあいだには、膝枕のときには考えられなかった、なにかとてつもないものが立ちはだかっていた。彼女はわたしの顔から眼をそらさず、少しずつ、少しずつ後ずさりし始めた。まるで野良猫が人間を警戒するように、その野生の鋭い眼をそらさず、少しずつ、少しずつ。どうすればいいのか。彼女を引き止められないか。同僚を納得させることはできないか。