運のいい人はいい加減に生きている

私はこのサイトをフランスの研究所仲間と一緒に見たのですが、フランス人の彼はこのサイトを見たときに、「クレイジー……」と言ってため息をついていました。

それもそのはず。私がフランスの研究所で働いていたときには、毎日電車通勤をしていましたが、フランスの鉄道は日本の基準からいえば、かなりいい加減な運行をしているのです。

ストライキの頻度は信じられないくらい多いし、理由がはっきりしない運休も突然あるし、止まるはずの駅に止まらないこともしばしばです。ユーザーとしてはとても不便です。でも、それがフランスらしさである、ともいえます。電車が止まったおかげで、突然ふってわいたご褒美のような休日を楽しみ、その一日を自分を豊かにするために過ごすことができると思えば、ストライキもなかなかいいものでしょう。

日本の列車とフランスの列車は実に対照的です。日本の列車が「正確」(あるいは、まじめ)なら、フランスの列車は(フランスの方には申し訳ないですが)「いい加減」といえます。

ところで、この対照的な列車を人間の生き方に置き換えるなら、フランスの列車的生き方のほうが自分を大切にする生き方だ、と私は考えています。

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自分を殺さない人は、他人からも殺されない

たとえば会社の残業を例にして考えてみましょう。

いつも残業をしてコツコツ働きつづけている人は、ある意味まじめな人、といえるでしょう。

一方、いい加減な人は、自分の仕事が終わるとまわりを気にせずに、さっさと帰って彼女と飲みに行くなどしてしまう。

会社という枠の中では、まじめな人のほうが好かれる場合が多いでしょう。しかし、社員という枠を超えたところでみるとどうでしょうか。

まじめな人の中には、「上司や同僚が残っているから自分だけ帰るのは悪い」という理由だけで残業を続ける人もいるのです。こういう人は一見「まじめな人」ですが、実は、まわりの価値観に縛られている人にすぎません。会社によってはいまだに長く働いている社員のほうが優秀という考え方があります。そんな会社の価値観にとらわれて、自分の価値観を見失っている。自分で自分を殺してしまっているのです。

実は、自分で自分を「殺し」てしまっている人は、他人からも「殺され」てしまうことが多いのです。前述したブラック企業などで無意味にこき使われてしまうのは、それが根本の原因です。

一方、いい加減な人は、会社の価値観とズレている部分もあるかもしれませんが、自分の価値観で行動しています。自分のやりたいことももっています。自分で自分を「殺し」ていないから、他人からも「殺され」ないのです。