「契約を曖昧にする」のが日本の文化
歴史的に購買部門は「納品してもらって当然。安く買えるかが重要」とプレッシャーを受けている。だから価格を上げるのは評価の対象にならない。その価格上昇を許容しなければ仕入先はダメージを受けるかもしれないが、そこまで配慮するシステムではない。
私が個人的に米国で見た契約の風景は印象的だった。契約書が電話帳の厚みほどあった。そこには、どれだけ市況が変動したら、どのように価格に反映させるか、など細かな条件がびっしりと書かれていた。日本で契約を曖昧にするのは文化ともいえるが、曖昧がゆえに下層ほど影響を受ける。
本稿の冒頭でマイホームの見積もり費用が膨らんだ例をあげた。負担に苦しむ購入者には言いにくいが、価格を転嫁できた住宅メーカーや工務店からすればマシだったかもしれない。企業間の工事で注文者側に契約金額の変更を受け入れてもらうのは難しい。
契約をだいぶ前に交わしたゆえに価格に転嫁できなかった場合もある。たとえばフローリング施工などは、契約してから実施までの期間が長いと知られる。そのあいだに木製品の価格が上昇し、利益を圧迫した。各社とも最終価格に転嫁できなければ人件費を削るしかない。苦渋の決断として、ただでさえ上昇していなかった職人の報酬を抑えた企業もある。もちろん業界全体が停滞し、さらに金が取れない業界になっていく。
低価格志向は日本をダメにする
もちろん海外に依存するのが悪いことではない。ただし、品質要求を柔軟にしつつ、日本木材の活用はリスク分散の観点からも重要だろう。
伐採しても同時に森林を育てれば問題がない。さらに自国森林の活用は二酸化炭素の吸収を考えても重要だ。海外からの物流における二酸化炭素も排出しない。住宅以外の建物にも有効活用すればSDGsにもつながる。木造ビルが増えれば世界的なPRにもなる。
また日本には自宅に納得のいく木材を使いたいニーズも一部にある。地産地消の木材を使って家造りをしたい希望をもつ人たちもいる。山に足を運んで育林状況を把握して、国内木材の利用につなげていく必要がある。私は「一部に」と書いたが、それがどれだけ広がるだろうか。ある関係者がこう言ったのが印象に残った。
「中国のアパレルブランドで有名になった企業がありますよね。安くてたくさん買える。とくに日本で人気です。大量生産で大量廃棄。日本では環境を守るとかSDGsって言っていますけれど、消費者はほんとうにそれを考えて買っていますかね。また地産地消って言いますけれど、価格が高かったら買ってくれない」
私は日本の消費者が悪いとは思わない。消費者にとっては安いほうがいいに違いない。ただし結局は程度問題だ。価値を認めるべきは認め、価格を上げるべきは上げる。その当然の値上げがなく、ひたすら低価格志向を重ねれば日本は世界から置き去りにされていく。