ソ連軍は8月15日以降も戦闘を停止しなかった

ソ連軍を除く連合国軍は、8月14日にアメリカ大統領ハリー・S・トルーマンが出した戦闘停止命令に従っている。日本側は切羽詰まっていたので急いでいたが、英米はそうではなかったので、8月14日よりあとの適当な時期に戦闘停止を命じてもよかった。

事実、アメリカ側も日本側も、バーンズ回答に対する再回答を受け取ることなく、めいめいかってに戦闘停止を命じている(詳しくは拙著『一次資料で正す現代史のフェイク』(扶桑社新書)第7章「日本が無条件降伏したというのはフェイクだ」に譲る)。命令が日米ほぼ同時に出されたのは偶然だった。

一方、ソ連軍は「終戦の詔勅」もトルーマンの戦闘停止命令も守るいわれがなかった。「日本の降伏条件を定めた公告」(通称ポツダム宣言)に合意も署名もしていなかったからだ。

これではソ連軍は戦闘停止する理由がないのだから、日本軍側が戦闘停止するかどうかとは関係なく、侵略と軍事占領をほしいままにすることになる。この状態では(2)の終戦はない。ソ連に組織的軍事行動を止めるには、そのための多国間協定が必要だ。

ソ連が終戦協定を結んだ9月2日が「終戦の日」

それが9月2日に結ばれた終戦協定としての「降伏文書」(Instrument of Surrender、出典=外務省外交史料館 戦後70年企画 「降伏文書」「指令第一号」原本特別展示)だ。ソ連はクズマ・デレビヤンコ中将が降伏文書調印式に代表として列席し、署名している。これによって「日本の降伏条件を定めた公告」の枠組みにソ連も、そしてオーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランドも加わることになった。

1945年9月2日USSミズーリ艦上での降伏調印式(写真=work of the U.S. federal government/PD US Navy/Wikimedia Commons

ソ連はこれに縛られることになり、調印式の3日後に歯舞・色丹の占領を完遂したのち、組織的軍事行動を止めた。つまり(3)の終戦になったのだ。

戦争とは相手国があるので、日本側だけ戦闘停止しても、相手国も戦闘停止しなければ停戦にもならない。この意味でも(1)の終戦はありえず、(3)でなければならない。つまり、8月15日ではなく9月2日が終戦の日でなければならない。

では、なぜ、現在日本では8月15日を終戦の日としているのだろうか。日本人にとっては意外なことに、アメリカは終戦の日を9月2日としている。アメリカが主導して東京湾上の戦艦ミズーリ号に各国代表を集め、終戦協定調印式のセレモニーを大々的にしたのだから当然だろう。