名古屋大会の模様をテレビ番組にする

もともとK-1は、フジサンケイグループがゴールデンウィークに主催していたイベント「LIVE UFO」の興行の一つとして始まった。第1回大会となる「K-1 GRANDPRIX ʼ93~ 10万ドル争奪 格闘技世界最強トーナメント~」が国立代々木競技場第一体育館で行われたのは、1993年のこと。私は直接その大会を見ていなかったが、テレビ業界や芸能界では大きな話題となった。

その後、愛知県知多郡美浜町で毎年夏に開催している「美浜海遊祭」に、T-BACKSというセクシーアイドルグループに出演してもらうことになったのだが、そのマネージャーが無類の格闘技好きだった。現場で、彼の持参したK-1のVHSをみんなで見て、「これは面白いね」と話していると、「一度、会場へ見に行こう!」と誘われ、1994年3月に日本武道館で行われた大会に足を運んだ。

また、美浜海遊祭に出演してもらったT-BACKSが、大阪のテレビ番組で空手家の角田信朗さんと共演しているということで、角田さんを通じて石井館長にお会いし、またもや「見においでよ」となり、その年の年末には、トントン拍子に名古屋レインボーホール(現・日本ガイシホール)で大会を開催するという流れになった。

私は、これをテレビ番組にしようと考えた。つまり、深夜番組として名古屋大会の模様を放送することにより、事業協賛とCMの提供をセットにして売ることができれば、マネタイズ(収益事業化)できるという直感があったからだ。

最初に地上波でK-1を放送したのは東海テレビ

実は、最初に地上波でK-1を放送したのは、キー局のフジテレビではなく、東海テレビなのである。

次第にその形が定着して行くと、東京大会や、注目のカードが組まれた試合についてはフジテレビが放送するようになるなど、格闘技の地上波放送は名古屋のローカル放送から東京の全国放送へと進化していった。

東海テレビと東海ラジオが入る東海放送会館(写真=CC-Zero/Wikimedia Commons

当時、私たちがイベントをつくる時というのは、最終的にはテレビに出すことが一つのゴールだった。常日頃からそういうことにアンテナを張り、どうすればスポンサーにメリットがあるのか、どうすれば収益が上がるのかを考えていた。

格闘技というコンテンツがテレビ向きだと思ったのも、そういう視点を持っていたからだと思う。