「信長を殺す」発言が出たワケ

第26話では、まず徳川軍が取り囲んでいる高天神城からの降伏の申し出を、家康が無視する場面が描かれた。家康が「降伏は受け入れぬよう上様(信長)からいわれておる」というと、家臣たちは無益な殺生に猛反発するが、家康は「上様の命じゃ。やつらを皆殺しにしろ」と平然と命じる。

妻子を失ってから家康が変わってしまった、と家臣たちは受け止めており、彼らの声を代表するのが、本多忠勝の「信長の足をなめるだけの犬になりさがってしまった」という言葉だった。

本多忠勝の肖像(図版=良玄寺所蔵品・現在は千葉県立中央博物館大多喜城分館蔵にある/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

また、毛利攻めで忙しい羽柴秀吉(ムロツヨシ)がわざわざ家康を訪ねてきて、こう言った。「わしは徳川殿が心配で、心配で。信康殿と奥方さまの。上様を恨んでおるのではないか?」

これに対して、家康は「私が決めたことです。すべては妻と息子の責任です」と答えはするのだが。

ほかにも、武田勝頼を徳川軍が直接討てなかったことや、信長を派手にもてなしたことなどについて、家臣団はいちいち「信長の犬」になった家康に呆れ、本多忠勝や榊原康政(杉野遥亮)らは我慢の限界に達する。そして、ついに家康に詰め寄ったところ、家康も信長にこびる表の顔の裏側を見せ、「信長を殺す」を発言した――。そんな話だった。

家康にも家臣にも信長を恨む理由がない

だが、ドラマのこの展開にはかなりの無理がある。

まず、高天神城の攻防戦だが、信長が高天神の籠城衆の降伏を許さなかったのは、状況を深く読んだうえでの作戦だった。武田勝頼が高天神の城兵を見殺しにした、という怨嗟の声が広がれば、勝頼の信頼が失われて次々と離反を招くはずだ、というのが信長の読みで、これが見事に的中した。

だからこそ、信長と家康は武田を滅ぼすことができた。高天神の籠城衆は「皆殺し」に近いことになっても、全体としては、失われる人命も少なくて済んだはずである。

また、ドラマでは家康が変わってしまったのは、築山殿と信康の命が失われたことがきっかけで、ひいては2人が死に追いやった信長のせいだ、という描き方である。