文仁親王の「象徴学」が迷走する理由

総じて、平成の天皇も令和の天皇も、天皇となって後も、明治、大正、昭和と同様、毎年正月に人文・社会・自然科学の専門家から講書始で進講を受けている。また歴代天皇の式年祭に先だって、それらの天皇の事蹟の進講を専門家から受ける。さらに三権の代表や主要省庁の幹部から内政・外交などの説明も受け、現実の政治や社会、経済の問題への視野を広げている。

他方、各皇族は現皇室内部の方々から皇族の心得などを学ぶしかないのが現状だ。天皇皇后およびその直系の同居皇族と、傍系の宮家皇族では教育の機会や情報収集の規模がおのずから異なっている。そのため、天皇家と宮家皇族との間に、現状認識の違いや、そこから発生する皇族としてのふるまいの原則が異なってしまうことも少なくない。

また、かつての家父長制度が皇室内でも弱まり、天皇家と宮家皇族との間の一体感は緩みはじめているようにもみえる。

そうしたなか、悠仁親王の誕生で、弟宮として皇位継承者としての教育を充分には受けてこなかった秋篠宮文仁親王が突如皇嗣となり、次代の天皇となることが予定されるようになった。この突然の皇位継承者への道は、秋篠宮文仁親王の「象徴学」の迷走の一因となっている面もあろう。

悠仁親王の「天皇への道」は険しい

フレンドリーな性格の秋篠宮は、かつての秩父宮、高松宮、三笠宮に似た自由奔放路線に傾きがちである。それはこれからの新時代に適合する皇室としての可能性も内包している面もあろう。他方、歴代天皇家の伝統と慣行をどこまで背負っていけるかという家長としての信念と責任感に欠けるきらいもある。

小田部雄次『天皇家の帝王学』(星海社新書)

長女である眞子さんの結婚に関し、皇族の自由や私生活の大事さを主張しつつも、皇室の伝統やしきたりに対応できないまま迷走してしまっていることに、そうした秋篠宮の苦衷があるようだ。そして、将来の天皇に予定される悠仁親王の養育にあたり、かつてのような東宮傅も、御学問所も、教育参与も設けられず、ひたすら紀子妃の奮闘にかかっているのが現状である。

日本をとりまく環境も急激に変化しはじめ、かつては平和のシンボルであった戦後の天皇家の役割にも変化がうまれるかもしれない。国民とともに歩み、被災者や社会的弱者に寄り添う姿も変わっていくかもしれない。その変化によって皇室と国民との間の信頼関係にも変化が起こるかもしれない。

こうした変動の時代のなかで、悠仁親王がどのような天皇になっていくのかは誰も予測できないし、これからの皇室がどのような道を選び、国民とどのような関係を築いていくのかも未知数である。ただ、歴代天皇の学びとたしなみの歴史の文脈から考えると、「帝王学」や「象徴学」を体系的に学ぶ場も失った現在の皇室にとっては、暗中模索の険しい道のりが続くのではないか。

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