かつて上皇陛下が学習院中等科に進学した際、英語教師を務めたヴァイニング夫人は生徒全員に英語の名前をつけた。このため上皇陛下も、「プリンス・アキヒト」ではなく「ジミー」と呼ばれた。この方針にはどんな狙いがあったのか。小田部雄次さんの著書『天皇家の帝王学』(星海社新書)より紹介しよう――。
イギリス人の教師が教えたこと
昭和21年4月、平成の天皇は中等科に進学した。当初、宮内省と学習院には初等科卒業後の教育は昭和天皇と同様に東宮御学問所を設け、ここで御学友らとともに将来の君主たるべき学びをする計画があった。
漢文は諸橋轍次、東洋史は山本達郎、日本史は児玉幸多という講師陣まで予定されていた。諸橋は『大漢和辞典』編纂で知られる。山本は日銀総裁などを歴任した山本達雄の孫で元号「平成」の名づけ親とされる。児玉はのちに敬宮愛子内親王の浴湯の儀に読書役として『日本書紀』の一節を朗読する。
しかし、戦争に負けて、占領軍の民主化が進められるなか、山梨勝之進学習院長は、皇太子教育と学習院のあり方をマッカーサーに打診した。その間に立ったのが、学習院教授でもあったイギリス人英語教師のレジナルド・ホレイス・ブライスで、第一次世界大戦では兵役拒否し、のち菜食主義者となり、また日本統治下の朝鮮の京城帝国大学英文科助教授となり、中国語や朝鮮語、禅などを学んだ。のちに金沢の第四高等学校(現在の金沢大学)の英語教官となった。
第二次世界大戦中は日本国籍取得を願ったものの敵性外国人として収容された。戦後は日米両国の間に立って、戦後日本の平和再建に尽力する。この間、昭和21年4月から平成の天皇(皇太子)の英語の個人教師となり、また学習院大学英文科教授としても英語を教えた。
昭和天皇のいわゆる「人間宣言」の起草にも関わった。禅や俳句などへの造詣も深く、日本文化の国際化にも大きく貢献した。ヴァイニング来日以前の平成の天皇の思想教育に大きな影響を与えた外国人でもあった。