「店を開く時は、タイフェスティバルで知り合ったタイ人のおばちゃんに相談して、毎週10キロ用意できる農家さんを紹介してもらいました。パクチーの流通がほぼない時代だったので、使用量が徐々に増え、調達に苦心していました。全国にパクチー農家を徐々に増やし、店が予約でいっぱいになってからは1日8キロ、年間2.5トン使いました」

これだけの人気店になると、当然、フランチャイズのオファーも来る。しかし、「自分がやりたいのは、パクチーを通して人がつながる場所づくり。それをノウハウ化してほかでやっても薄まるだけ」と考えて、経堂の単独店舗にこだわった。

筆者撮影
慣れた様子で鍋を振るう。

前代未聞の「無店舗展開」

2016、2017年ごろ、大手食品会社がこぞってパクチー製品を出したことがある。そして今では、スーパーでも当たり前に置かれるようになった。無名の食材だったパクチーをメジャーに引き上げたのは、パクチーハウス東京だと言われている。

それほどの影響力を持ち、連日連夜の大入り満員を続けながら、佐谷さんは2018年3月10日に、店を閉じた。その理由のひとつは、ある日、不安を感じなくなっている自分に気づいたから。それはイコール、挑戦していない証しでもある。

「僕は子どもたちが20歳になったらひとり立ちしてもらうつもりなんだけどね。これからの日本の大変な未来を考えたら、店を順調に経営したまま息子、娘を荒波に放り出すのは無責任じゃないかと思って。妻が長男を身ごもった時、子どもと同じように成長したくて独立を決めました。同じように、僕がチャレンジし続ける背中を子どもに見せたほうが、これからの苦難の時代に対応できるんじゃないかと思ったんです」

佐谷さんが新たに始めたのは、「無店舗展開」。パクチーハウスのポップアップだ。パクチーハウス東京やコワーキングスペース、35歳の時に始めたマラソンを通して日本全国に友人、知人ができた佐谷さんは、そのツテをたどって各地でパクチーハウスのポップアップイベントを開催した。すると、それまでパクチーハウス東京では縁が薄かった高齢者に何度も「こんな楽しいの生まれて初めて」と言われた。その声を聞いて確信した。

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地元でとれた猪の肉を使った「猪パク」(890円)。

「うちは料理を出していたんじゃなくて、思いがけない交流から友情が生まれ、そこからまた新たなつながりをもたらす場でした。店舗があった時は経堂に来られる人しかその交流を体験できなかったけど、僕が足を延ばす先々で同じような場を作ったほうがいいと思ったんです。パクチー料理専門店で儲けることは誰でもできるけど、田舎のお年寄りにパクチーを食べてもらい、人生に刺激を与えてあげるのってそれよりずっと大事じゃないですか? 僕がいなければパクチーを食べなかったかもしれない人に、パクチーを届けたいんです」