娯楽として始まった公営ギャンブル

そもそもアメリカ初の近代スポーツは何か御存じだろうか? 実は野球でもアメフトでもバスケでもなく、競馬なのである。

繋駕競馬けいがけいば」(4本の肢のどれかが地面についていないと失格になる歩法での競馬)と呼ばれ、1825~70年に流行した一種のスポーツ賭博である(坂上康博、中房敏朗他『スポーツの世界史』一色出版、2018)。

日本の競馬も、幕末の横浜・外国人居留地で初めて開催され、“輸入品”として始まっている。元来賭博は禁止されていた日本だが、すでに1900年代に入って常態化していた非公式の競馬を、大陸での戦争に際して「軍馬の育成」の喫緊性に直面し1923年に制定された競馬法で公営化した。そこから公的な馬券発売が解禁されている。

パチンコも1930年に初めての営業許可が名古屋の遊技場に与えられた。公営ギャンブルというのは大正~昭和初期に整備が始まった。それが戦後になって深刻な地方財源不足と各産業振興のために、競輪、オートレースなどに広がっていったのだ。

「公営」と言われているのは、その収益の配分が厳格に規制されているからだ。

中央競馬では売り上げの70~80%がユーザーに還元される。75%が還元されるとすると、残り25%のうち10%が自動的に国庫納付金となる。残15%からJRAの運営コストを引いた利益の2分の1は第二国庫納付金となる。

1990年代より30年にわたって毎年2500億~3000億円が国の財源となってきた。総額2.5兆~4.0兆円の賭け金からもたらされたものである。

他の公営競技もおおむね還元率は75%、比較すると「宝くじ」や「サッカーくじ」が50%弱と、賭けをする立場からすればそれだけ期待値は低いものとなる。

写真=iStock.com/Y-Osawa
※写真はイメージです

「見る」ではなく「参加する」が絶大な効果に

ギャンブルはGamingとも呼ばれる。賭けの対象となる「勝敗がわからない事象」に自ら研磨した知見をスキルとし、ある程度の偶然性に身をゆだねつつ、その結果によって大きな利得も損失をも許容する遊びである。

その心理的メカニクスはゲーム産業が活用しているものととても近しい。音楽ライブも演劇も配信型に移行したコロナ期だったが、無料でこそ視聴も伸びるが、ただ平場に並べたデジタル映像を購入して視聴するモデルはウケが悪い。

コストをかけた試合と映像であっても、ただ「見るだけ」の行為に人々が支払える許容金額はそれほど大きなものではない。そこに「プレイする・体験する」が加わることでテーマパークやアミューズメントはより多くの価値を創出する。

さらに、「賭ける・獲得する」ところまで行きつくのがギャンブルやゲームである。

視聴そのものが無料だとしても、賭けによってその勝敗に参加することの誘因力はすこぶる強いものだ。もちろん功罪はあるし、自主規制もセーフティーネットも非常に重要な領域だ。

ただ公営ギャンブルのここ数年の大活況、そして同時期に北米でオンラインカジノやスポーツベッティング、ファンタジースポーツでも迎えた成長期を見るにつけ、「賭ける・獲得する」という参加行為がもたらすプラス影響もまた、それなりに分析価値のあるものなのではないかと思わされる。