母親の死
実母の在宅介護を担当するのが、鈴木さんと姉、姉の孫の妻、姉の末孫と複数人であるため、鈴木さんたちは介護ノートを用意。自分たちだけでなく、訪問看護師たちが見てもすぐに母親の状況がわかるようにした。
「私や孫ちゃんたちは、母を介護する時間以外は自分の時間を持てますが、姉は母と同じ部屋で生活していたため、母のゼーゼーしている音や咳、母の吸引の音などで睡眠もままならなかったと思います。でも、私たちはお互い、自分ができないことを4人の誰かがしてくれるという安心感があり、自然と支え合うことができていました」
2021年3月。その日はよく寝ていたので、鈴木さんは、口腔ケアは翌日にゆっくりしてあげようと思い、母親の横でウトウトして帰った。
翌朝の9時ごろ、姉から「お母さんの様子が変! 体温が35度もなくて、身体が冷たいような気がする!」と電話があり、すぐに実家へ向かう。その途中で、姉の末孫から、「おばあちゃん、心肺停止」とLINEが入った。89歳だった。
「いつかはこんな日が来ると覚悟を決めていましたが、悲しいものですね。前日は母とお昼寝をして、『また明日来るからね』と言ったら目を開けてうなずいていたのに……」
主治医は、「とても穏やかな優しい顔して、苦しまず、スーッと逝かれた感じがします。お母さんも今までよく頑張りましたが、家族の皆さんもよく頑張られましたね」と言った。
母親は、かねて姉と決めていた、家族葬で送られた。
義母の死
義父が亡くなってからも、義母はワガママなままだった。義父が義母に相談なく、農家の後継ぎを鈴木さんの長男に決めたことに腹を立て、以降、鈴木さんの長男とその妻を毛嫌いしていた。2022年5月ごろは相変わらず頑なで、「自分に介護が必要になっても、見てくれんでもええ」とはっきり言い切っていた。
「あの頃は、夫が亡くなってから、田畑の後継者として頑張っている長男の悪口を言う義母を許せず、『誰が義母の介護なんかするか!』と思っていました」
当初は義姉婿が、「義母の面倒は義姉が見る」と言っていたため、「それならその方が義母にとって幸せだろう」と鈴木さんは思った。すると今度は義弟から、「介護しないならこの家から出て行ってほしい」と言われ、義母も一緒になって鈴木さんたちを追い出しにかかった。
ところが義父の死から2年後。もともと糖尿病や腎臓病もあり、92歳になった義母は、日に日に身体が弱っていった。要介護1から要介護4になり、8月には自分で歩くこともできず、人の手を借りなくては生活できない状態になった。
いつしか鈴木さんや鈴木さんの家族たちは、義母からさんざん嫌なことを言われてきたにもかかわらず、自然に義母をサポートしていた。
ある日、義母は鈴木さんたちに、「今までのことは悪かった。これからもこの家で自分を見てほしい」と頭を下げた。
「当時、義姉や義姉婿たちは、義母の通帳を勝手に持ち出して、内緒でお金を下ろしていました。義母の身体の心配よりも、お金の心配ばかりしているように見えました。私は義母がかわいそうになって、この40年間、本当に嫌な思いをさせられたし、良い思い出もないけれど、これからの何年間で、私が私のために納得いく介護をして、義母を夫や義父の所に送ってあげたいと思い、それを家族に伝えました」
鈴木さんの子供たちは全員、「おかんはそうするだろうなと思っていたよ。それならみんなで協力するよ。おかんひとりだったらおかんの身体が心配だよ』と言い、それぞれができることをしてくれた。
2022年6月。義母は入退院を繰り返すようになり、2023年4月には突然の高熱。検査をすると、敗血症だった。主治医の話では、「2〜3日が山だ」と聞いていたが、鈴木さんが毎日面会に行き、義母といろいろな話をしていると、だんだん元気を取り戻し、食欲も戻ってきているようだった。
主治医に確認し、義母が食べたいものを持って行くと、今まであまり自分の素直な気持ちを出したことのない義母が、「おいしい、おいしい」とうれしそうに食べ、鈴木さんに「ありがとう」と感謝の気持を言葉にできるようになっていた。
「亡くなる前日も、私から見て回復してきていると感じていたし、私の身体を心配してくれる言葉や、私が帰る時には、『また明日来てな〜、楽しみにしとる。気をつけて帰るんよ』という言葉をかけてくれました」
2023年4月17日の早朝、義母は息を引き取った。
「義母は、穏やかで、幸せそうな顔していました。それを見ただけで私も幸せな気持ちになれました。これで、私の介護生活が終わりました。最初は嫌だった下のお世話も、やってみると大丈夫でした。正直義母の在宅介護はしんどかったですが、今は、義母がかわいい義母に変わってくれたから、最期まで介護することができたのだと思い、感謝しています」
鈴木さんはこう言うが、筆者は鈴木さんや鈴木さんの子供たちが義母のかたくなな心をほぐしたのだと考える。
「義母の在宅介護をしたおかげで、今まで私の長男の前で笑ったことのなかった義母が笑い、その笑顔を長男が目にすることができました。家族みんなで協力し、義きょうだいたちと戦え、しんどいながらもたくさんの幸せを感じることができました」
約40年も意地悪をされ続けてきた相手を献身的に介護し、看取ることまでできる人はなかなかいない。ましてや、一度も感謝の言葉を口にしなかった相手の心を溶かすことができたのは、奇跡に近いことではないだろうか。
しかし、残念ながら鈴木さんの戦いはこれで終わりとはならなかった。むしろ始まりと言っても過言ではなかった。