江戸のコミュニケーションには“含み”がない

私自身は少なく見積もっても5世代は江戸に住んでいる家の人間で、遠回しなコミュニケーションというものに慣れる機会もまったくなく、そういったやり方を学べるような先生もおらず、ここまで育ってきてしまいました。

中野信子『エレガントな毒の吐き方 脳科学と京都人に学ぶ「言いにくいことを賢く伝える」技術』(日経BP)

ストレートで四角四面な物言いにしか触れてきていないということは、傷つき傷つけ合いながらの人間関係を生きてくるということでもあり、それはそれでしんどいものです。また、どうしてもごつごつと不格好なやり取りになりますから、どう見てもあまりエレガントではありません。どうにかして含みのあるコミュニケーションを身につけることができまいかと悩みました。

そんな折、初めて京都の人の言い回しはこうだよということをさいにわたり解説して教えてもらい、それはたしかに、いわゆるイケズというものではあったのですが、むしろ、ああ自分に足りなかったものはこれだと、感動するような思いにもなったのです。

深淵をのぞくような気持ちになるのは、これが、人間の深淵をのぞくことと同じだからなのかもしれません。京都のコミュニケーションは、人間の深淵をのぞき続けて、なお、人間と対峙たいじし続けなければならなかった土地に住まう人々が生み出してきた知恵の結晶でもあるのだと思います。

イヤな京都人ならどう答えるか

本稿では、こんなとき、京都の人ならどうするか? を見ていきます。

京都市在住の(できれば中京区や祇園に代々お住まいか、そういった方から直接このように言われた、などの経験を持つ)複数の方にお願いして、京都人が考える適切な言い回しをお聞きしたものをまとめました。

写真=iStock.com/mokuden-photos
※写真はイメージです

ありがちだけど、毎回困ってしまう、できれば遭遇したくはない、イヤなシチュエーションをピックアップしています。拡散されたりして巷によく出回っているような典型的な言い回しの返答とどう違うのか、ぜひ比べてみてくださいね。

クイズ形式にしてある項目では、「京都の人が話しそう」というイメージのあるフレーズだけれども実際にはそんなことを京都の人は言わないよとか、よく使われてしまっているけれども京都の人の基準からするとこれはよくないといった選択肢を、間違いとして混ぜています。対比してぜひ、京都人のエレガンスを一緒に感じていきましょう。

さっそく見てみましょう。