運転士を苦しめる「お客さま第一主義」

彼女は周りが見えておらず、自分のことしか考えていないのだ。もし同じことを電車の運転士にしたら、たいへんなことになることは、彼女にも理解できるはずだ。バスだって公共交通機関だということをよく理解してほしい。

この話を営業所で同僚にしたところ、数名が「自分も似たようなケースがあった」と言う。河原君はバスドライバー歴5年の30代の既婚男性。彼はバス停から乗ってきた女性客に突然、年齢を聞かれたという。何かと思いながら答えると、続いて「どこに住んでいるの?」と聞く。これでおかしいと思い、「乗務中なのでお答えできません」と言うと、女性はそのまま乗車したのだが、降りていく際に「連絡先、教えてくれない?」と言われたという。いわゆる逆ナンパというやつだ。

竹野内豊似でイケメンの彼は「怖くなって断りました」と教えてくれた。ここまでひどくはなくても、バス停でいろいろなことを聞かれ、運行が遅れてしまうことはよくある。行き先や停車するバス停、経由地の質問ならまだしも、このバスの年式は何かとか、他社のバスの経路などを聞いてくる人もいる。バス案内所で聞くかネットで調べればと思うのだが、平気で営業運転中のバスに聞いてくる。これも、お客さま第一主義の弊害なのかもしれない。

突然、怒り出した年輩の男性客

バス停につけて「お待たせしました。市役所行きです」と案内し、扉を開けた。

「何やってんだよ!」

先頭にいた年輩の男性客が怒鳴りつける。

写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです

「どうされましたか?」
「この1つ前のバスに乗ろうとしたら、俺の目の前で扉を閉めていっちまった。おかげでこのバスが来るまで15分も待たされた。おまえらのバス会社はどうなってるんだ⁉」
「それはすみませんでした。失礼しました」

そう謝罪すると、多少は怒りが鎮まったのか、「おまえらの会社はなってねえなあ」と捨て台詞を吐き、そのままバスの後方へ進もうとした。しかし、料金の支払いを忘れている。

「すみません。お客さま、前払いのため、運賃をお願いします」

私がそう呼びかけると、立ち止まってこちらを振り返り、ポケットから何かを取り出して、一瞬こちらにかざすと、再びポケットにしまいこんだ。確認ができなかったので、「お客さま、お手間をおかけしますが、もう一度見せていただけないでしょうか」と再度お願いする。お客はことさら面倒くさそうな態度でこう言った。

「運転手の分際で生意気なやつだな」

そして、「ほらよ」と敬老パスを鼻のそば5センチのところに突きつけた。ここまで書いたとおり、乗客から不満や怒りを浴びせられたこと(*6)は何度となくある。しかし、このときの「運転手の分際」という言葉は、どういうわけか、そのまま私の頭の中を占拠してしまった。そのままバスを発進させ、運転を続けるが、「運転手の分際」という言葉が頭の中でこだまする。

(*6)不満や怒りを浴びせられたこと:もちろんその逆もある。コミュニティーバスでは運転士と乗客の距離感が近い。病院に通う常連のおばあさんからミカンをもらったり、おじいさんが自販機で買ったばかりの缶コーヒーをくれたりしたことも嬉しい思い出だ。お母さんと一緒に乗ってきた保育園くらいの女の子が小袋ののど飴をくれたことも忘れられない。