現代の国際秩序を生んだ歴史の教訓

この「公正な」平和に対する日本の立場には、歴史的な重みがある。国際連盟規約と不戦条約の両方に加入しておきながら、中国大陸で侵略行為に及んだのが、他ならぬ1930年代の大日本帝国だった。満州国の設立に至る満州事変は、不戦条約体制に移行した国際社会の新しい「法の支配」に基づく国際秩序に対する、最初の根本的な挑戦であった。

その後日本に続くように、イタリアはエチオピアを侵攻し、ナチス・ドイツは拡張併合政策を推し進めた。結局、大日本帝国の侵略政策にその他の諸国がなすすべもなかったことが、その後の第2次世界大戦の悲劇を招き寄せることになった。

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ウクライナに傀儡かいらい政権を樹立して軍事侵略を正当化しようとしているロシアの行動は、満州国樹立時の大日本帝国の行動と、全く同じ性格を持っている。現代国際社会が受けている挑戦も、当時の国際社会が受けた挑戦と全く同じ性格を持っている。

違法行為を事後追認していいのか

万が一、日本が率先して、あるいはイタリアやドイツとともに、「違法行為であっても法的現実を作り出すことはできる。ロシアの侵略行為を事後追認する平和を認めるべきだ」などと主張してしまったら、大変である。旧枢軸国日本の歴史認識が疑われるばかりでなく、第2次世界大戦の苦い経験から生まれた、「国連憲章の諸原則」によって成り立つ「法の支配に基づく国際秩序」そのものが、深刻な打撃を受けてしまうだろう。

第2次世界大戦中の旧枢軸国が、当時の連合国とともに、共通の価値観を確認するために集まるのがG7である。だからこそ、「国連憲章の諸原則」によって成り立つ「法の支配に基づく国際秩序」への信奉を表明することが、G7にとっては非常に重要になる。逆に言うと、その共通の価値観を互いに確認できれば、G7は強力な「結束」を見せることができる。

1930年代当時、大日本帝国の行動を止めることができなかった諸国は、しかし事後追認もしなかった。アメリカは、満州国の樹立を決して認めない立場を貫き通した。違法行為から生まれた現実を認めることはない、という不承認主義、いわゆる「スティムソン・ドクトリン」の貫徹である。

当時の国際連盟加入国のほとんども、アメリカのこの方針が不戦条約体制における論理的帰結だと考え、満州国の不承認を貫いた。しかし、イタリア、スペイン、ドイツなどの当時のいわゆる全体主義国家、それら枢軸国陣営の同盟諸国、および一部の中立国は、1945年までに満州国を承認した。世界の大多数の諸国は不承認主義を貫いたが、そこから逸脱して国際秩序に挑戦する諸国が生まれるのを防ぐことはできなかった。不承認主義は、即効性のある形では現実を是正することができなかったのである。