どこか胡散臭いのは退役軍人で、年齢も学生たちより一回り以上も上だし、名前も変名を使っていた。鉱山会社に勤めた後、軍事工学を学んでいたとも言われる。トレッキング中よく写真を撮っていたが、もう1台、別のカメラも持ち、皆に隠していた。
服から放射能が検出されたのはこの男だ(もう1人は彼の近くで発見された女子学生)。彼は今回が学生たちと初顔合わせで、どうやってグループに参加できたのか、実はあまりよくわかっていない。放射能とこの男を結びつけた秘密工作員説も浮かぶ所以である。
事件の謎に対するさまざまな解釈
ソ連が崩壊してロシアへの旅がしやすくなるにつれ、世界中の謎解きマニアたちが「ディアトロフ事件」に挑みはじめた。数々のノンフィクション、小説、テレビ・ドキュメンタリー、映画が生まれ、さまざまな解釈が披露されている。どれも一長一短あり、これぞ決定版というものはまだないが、いくつかあげておこう。
II マンシ族ないし野獣襲撃説――足跡皆無。
III 竜巻説――テント内にいた時ではなく、外へ出てから小さな竜巻に襲われたというのなら、ひどい骨折の説明にもなる。ただ固まって倒れていた理由はわからない。
IV UFO説――数カ月前からこの近辺の上空に正体不明の火球が飛んでいた(目撃証言が多数ある)。もしそれがUFOで、テント近くに着陸してエイリアンが降りてきたら、どんな剛毅な人間でもパニックになって逃げだすだろう。特にこの時代はSF黄金期だった。あいにく物的証拠はない。
V 軍の陰謀説①――火球はUFOではなく開発中の新兵器で、軍事機密をグループに知られたため全員を抹殺。
VI 同②――軍による人体実験の犠牲になった。
VII 同③――グループに同行した元軍人が、山で秘密裏に接触したスパイと何らかの理由で争い、学生らが巻き添えになった。
このようにソ連軍が関与していたとしたら、永久に証拠書類は出てこないだろう。
アメリカの映像作家が挑んだ真相解明
そして2013年、新たなドキュメンタリーの傑作が生まれた。アメリカの映像作家ドニー・アイカー著『死に山』がそれだ。翻訳も出ているのでぜひ読んでほしい。
著者アイカーは、現場に赴くことなく自宅の椅子に座って事件を解決する「アームチェア・ディテクティブ」ではなかった。自らロシアへ何度も出かけ、グループ唯一の生き残り(21歳だった学生は、すでに75歳になっていた)にも会って貴重な証言を得たし、驚いたことにディアトロフ隊と同じ行程を辿って冬の「死の山」へも登ったのだ。
この本の最大の読みどころが事件の解明部分にあるのは間違いないが、同じくらい興味深いのは――これまでの素人探偵たちがほとんど関心を寄せていなかった――ソ連時代の若者たちの生き生きした生態だ。鉄のカーテンの向こうでも、変わらぬ人間の営みがあったことを知らされる。