恐怖でコントロールしない
「叱る」ことの目的はなんでしょうか。
叱る側が、思い通りにならないストレスを発散させること?
ちがいますよね。「まちがった行動を具体的に理解させ、おなじ過ちをさせないこと」または「正しい行動に修正していくこと」です。
これらの目的を達成するために「大声を出す」や「威圧する」、つまり「恐怖でコントロールする」ことは必須ではありません。もちろん一刻を争う状況では仕方がないですし、タイミングによっては、一時的な効果はあるでしょう。
ただし、「常に」恐怖でコントロールしてしまうと、子どもたちの判断基準は「正しいかどうか」ではなく「こわいかどうか」になります。子どもが耳を傾ける理由が「正しいかどうか」ではなく「こわいかどうか」になってしまうんです。
子どもたちが、こわい人の言うことだけ聞く大人にならないよう、まずはわたしたち大人が恐怖でコントロールをしないことからはじめましょう。
「正しい」と「正しくない」は常に変化します。今まで「正しい」とされていたことが時代や環境の変化でいつのまにか「正しくない」に姿を変えていきます。
30年まえの「正しい」が、今どれだけ「正しい」として扱われていますか?
だから、わたしたちは常に敏感でいないといけません。自分の「正しい」を疑わなければいけません。いろんな人の考えや価値観に触れながら、自分の軸をつくっていくしかありません。
そして、その軸にのっとって子どもの行動や発言を注意していくしかありません。子どもの行動をジャッジしていく大人のわたしたちも、えらそうに注意するばかりじゃなく、自分を振り返り反省し、襟を正していきましょう。