秋篠宮さまは結婚後も公務員住宅に居住

戦後しばらく両陛下は御文庫に住まわれ、宮殿には宮内庁庁舎の一部が使われていたが、1961年の昭和天皇還暦に際して吹上御所が新築され、1969年には現在も使われている新宮殿が竣工しゅんこうした。

一方、皇太子殿下(現上皇陛下)は、戦争から戦後にかけては転々とされたが、ご結婚前は現常陸宮邸に、結婚後は新築された現仙洞御所におられた。場所としては貞明皇太后の大宮御所だった場所である。

また、今上陛下は昭和天皇がご在位中は、赤坂東御所というところにおられ、平成になって現仙洞御所を東宮御所とされた。

秋篠宮皇嗣殿下はというと、結婚直後は赤坂御用地内にある公務員住宅に住まわれていた。これは、鷹司和子(昭和天皇皇女)が未亡人となられたあと、安全上の配慮で特例としてお住まいだった粗末な建物だった。眞子さん、佳子さまの誕生後、1997年からは旧秩父宮邸をリフォームした建物を使っておられたが、外国からの賓客をお呼びするには不向きだし、将来の天皇に予定される悠仁さまの誕生後はとくに不適切だといわれ続け、冷遇が問題になっていた。

そのような状況下、冒頭に説明した通り、平成の陛下のご退位に伴う引っ越しの中で旧東宮御所に移れなかったため、新館の建設が決まったのだ。つまるところ、総額約44億円の新居費というのは、ご退位とその後の体制のあり方の選択から発生したコストということになる。

宮殿東庭から見た長和殿(写真=Øyvind Holmstad/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

公務の多い秋篠宮家の「無防備」ぶり

上皇陛下のご退位は例えてみれば、「社長・副社長・専務」といった関係だったのを、「会長・社長・副社長」という体制にしたようなものだった。もちろん、上皇陛下を「相談役」的な位置づけにすることもありえたが、そうはしなかった。民間企業でもこのような体制に変わったら、それなりにコストがかかるわけで、秋篠宮家の贅沢でも何でもない。

コストの問題はお住まいだけではなく、皇室のスタッフにも影響している。平成時代には、侍従職80人、東宮職50人、秋篠宮邸には20人だったが、令和になると上皇職65人、侍従職70人(医療スタッフが平成の時より少ないようだ)、皇嗣職50人ほどになった(コロナ後、少し変わっているかもしれない)。

また、皇宮警察の体制も、秋篠宮家より上皇ご夫妻の方に手厚くなっている。しかし、公務や通学などで外部との接触の頻度がまったく違うという危険の大きさからしても、守るべき人数からしても、秋篠宮家への希薄な警備は安倍元首相や岸田首相への襲撃も起こる世情のなかでひどく心配な状況だ。