御所・御用邸など「皇室のお住まい」の全容
このことを論じるために、皇室がもっておられるお住まいの全容を紹介しておこう。皇室のお住まいは、東京と京都の御所と那須、葉山、須崎の御用邸(別荘)がある。
京都御苑のなかには、明治維新以前の皇居であった京都御所のほか、皇族方の京都滞在に使われる京都大宮御所、そして現在は庭だけだが京都仙洞御所、桂離宮、修学院離宮がある。
東京の皇居内には、儀式に使われる宮殿、天皇ご一家が住まれる御所、現在は使われていないが昭和天皇ご一家や昭和天皇の死後に香淳皇后が使われていた吹上大宮御所がある。現在、東宮御所は設けられていない。
そして、赤坂御用地には、仙洞御所(旧東宮御所)が北西側に、秋篠宮邸、三笠宮邸、三笠宮東邸、高円宮邸が青山通りに近い南側にある。さらに、常陸宮邸は渋谷区東に、高輪皇族邸(旧高松宮邸)は港区高輪にある。
那須の御用邸は上皇陛下や今上陛下ご一家がしばしば滞在される。葉山の御用邸は大正天皇が愛され崩御された場所でもある。須崎の御用邸は、静岡県下田市にあって、貞明皇太后がお住まいになっていた沼津の御用邸に代わる「海の家」といったところだ。
明治~昭和にかけてお住まいは何度も焼失
明治以来の歴史をざっと振り返ると、江戸城では1863年に本丸御殿が焼失し、本来は嗣子や大御所が住んでいた西の丸御殿に将軍が移っていたので、それを「東京奠都」、のちの御所とした。
だが、西の丸御殿も1873年に焼失したので、外観は和式で内部は洋式の明治宮殿(御所と儀式の場所である宮殿が隣接)を1888年に建設し、明治天皇は、工事の間は旧紀伊藩邸(迎賓館の場所)に住まわれた。
大正天皇のために皇太子が住まわれる東宮御所として建てられたのが、現在の迎賓館である。昭和天皇は、独身時代は高輪御所におられ、結婚後は東宮御所に移られた。
明治宮殿は終戦の年に空襲で焼失したので、両陛下は防空壕とつながっていた御文庫という建物に移られた。たしかに居住性はあまりよくなかったが、俗説でいわれる「地下の防空壕で我慢された」というのは都市伝説である。