JAL再建では手袋1枚の値段にまでこだわった

稲盛さんと僕とは、やがて会社の経営の方法とか、M&Aの方法とかが、大きく違っていきました。寄付のやり方も違う。稲盛さんは、箱物が好き。僕は、中身が好き。だから、がんセンターをつくったり、学校もやる。

どっちがいい悪い、ではないんです。やり方が違うだけで、やっていることの根本は一緒。だって、みんなが同じところばかりに集中したら、困るでしょう。いろんな人が、いろんな寄付をするから、世の中がよくなるわけです。

でも、最終的には相通じるところがあるんです。日本電産(現ニデック)はすでに69社(インタビュー時点。現在は70社)、会社を買収している。ほとんどがつぶれかかった会社を再建してきている。これは、第二電電をつくった稲盛さんの、国をよくしたいというまっすぐな気持ちの影響が間違いなくあると思う。

でも、会社の再建というのは、簡単な仕事ではないんですよ。ものすごいエネルギーが要るんです。その点では、稲盛さんというのは、言ったことを必ずやってこられたわけです。口だけじゃないんですよ。

JAL再建にしたって、自分で東京へ行って、現場に出向いて自ら指導してね。しかもあの年で、あの会社を再建に行くなんて、他にできる人はいない。本当に手袋1枚の値段まで調べて。だから、JALは立ち直ったわけですよ。

「稲盛さんみたいなこと言い出したな」と言われる

この20年くらい、稲盛さんが心の世界とか、お寺のお坊さんみたいなことを言ってるのは、ちょっと違うなと思っていました。京都に坊さんは、たくさんいるのですからね、そんなもの、財界人が坊主になる必要はないだろう、と僕は考えていたんです。

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ところが最近、僕もああいうことを言い出してきたんです。12歳違いますからね、10年遅れくらいで、だいたいほぼ同じようなことを言い出していて。「あんた、稲盛さんみたいなこと言い出したな」と最近は言われているんです(笑)。

松下幸之助さんも、人生の後半にPHPをつくられた。僕は別にそういうことを意識しているわけではないんだけども、人間というのは、やっぱり国のためとか、社会のためとか、寄付行為をするとか、そうなるんだなと今は思っているんです。だんだんだんだん、稲盛さんに似てきたな、と。

ということは、やっぱり今も稲盛さんに影響を受けているわけです。やっぱり自分が真似て学んできた大先輩ですから。僕は稲盛さん以外の人の真似なんて、したことないですから。創業した頃は、オムロンの立石一真さんの教えの影響を大きく受けてやっていましたが、ある程度、会社が大きくなってからは、稲盛さんの影響がとにかく大きかった。

結局、自分が影響を受けるということは、考え方とか生き方とか、経営の仕方に親しみを持っているということだと思うんです。そこに尊敬心があったり、やっぱりこの人は立派だなと感じたり、そういうことがあるから影響される。他にはないんですから。