日本人にありがちな「嫌味」

そこに気づけずにいると、さらに怒りを募らせて、自ら面倒なシチュエーションを生み出してしまうこともあります。とくに日本人に多いのは、あえて相手に聞こえるようにぼそっと嫌味を言うケースです。

「あ~あ、ここは公共の場なんだけどなぁ」
「そんなことをするなんて、どういう神経をしているんだろう」

根底に軽蔑の念がありますから、言い方にはとかくいやらしさが伴います。

言われたほうは当然、カチンときますよね。自分は確かに良くないことをしていると思っていても、嫌味を言ってきた相手に対する怒りが生まれます。そのまま口論になってもなんら不思議ではありません。

社会的ルールを守らない人に対して軽蔑の感情が生まれ、それが怒りに転じようとしていたら、ひとつ深呼吸をして、冷静に指摘してあげたほうがよほどお互いのためになるのではないでしょうか。

嫌味口調や喧嘩腰ではなく、丁寧に、理路整然と正論を向けられたら、言われたほうはけっこう素直に従うものです。

ただし最近は物騒な世の中になり、マナーの悪い人に注意をしたら突然ナイフで刺されたなんて事件を聞くこともありますので、指摘を躊躇う場合は、その場(怒りの対象)から離れることが最善だと思います。

感情をストレートに表現する外国人から学んだこと

私は学生時代にこんな経験をしたことがあります。

ある日、空手の道着や防具などが入った大きなカバンなど、たくさんの荷物を持って満員電車に乗り、その荷物を自分の足元に置きました。当然のごとく、ほかの乗客からは「邪魔だな」という白い目で見られました。

その自覚はありましたが、あまりに荷物が多かったので、しょうがないよな……と思っていたのです。

すると、あとから私の近くに乗車してきた外国人男性が「きみの荷物が邪魔になっているから網棚に載せてくれ」と言ってきたのです。

私は突然話しかけられたことに驚き、一瞬警戒してしまいました。

しかし彼には怒っているとか嫌味な感じは、まったくありませんでした。ただ単に、そうしたほうがいい、そのほうがお互いにとって良いだろう、ということを伝えてきている様子でした。そして、重たい荷物を網棚に載せるのを手伝ってくれたのです。

もし、誰かから「邪魔なんだよ」「非常識だろ」といったような言葉をブツブツと言われたら、若かった当時の私はムッとしていたかもしれません。

大愚元勝『自分という壁 自分の心に振り回されない29の方法』(アスコム)

でも、淡々と指摘して手伝ってくれた外国人男性に対しては、「どうもありがとう」という感謝の気持ちがこみ上げてきました。

このように、同じ感情を抱いた場合でも、接し方ひとつで相手への伝わり方は大きく変わるものなのです。

私たち日本人は比較的シャイで、他人に対してこのような指摘をしたり、はっきりと物を言うことが苦手だったりする傾向にありますが、余計な含みを持たせずにストレートに行動する外国人のみなさんから、こういう姿勢を学ばないといけないかもしれませんね。

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