野村克也が少年時代の井端弘和に野手転向を勧めたワケ

「どうしてあのとき、野村さんは僕にショート転向を勧めたのか、ずっと不思議だったんです……」

井端弘和が静かに切り出した。

「……僕が中日ドラゴンズに入団した頃、野村さんはヤクルトの監督でした。その後、阪神の監督時代も、交流戦で楽天と対戦するときも、何度もごあいさつには行ったけど、結局ずっとその理由を聞くことはなかったですね」

しみじみとつぶやいた後、何かを思い出したように井端は自身の携帯電話を取り出し、手慣れた操作で通話を始めた。

「あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど……」

数分のやり取りを経て、「あぁ、そうでしたか。ありがとうございます」と言って、井端は通話を終えた。

「野村さんと仲がよかった新聞記者に電話しました。彼が事情を知っていると聞いたのを思い出したので……」

野村と交流のあった新聞記者の説明を井端が教えてくれた。

「簡単に言えばピッチャーをやっていたときの打球への反応、打って走っているときのベースランニング……。こうした姿が、投手ではなく野手向きだったということらしいです。ピッチャーでもよかったのかもしれないけど、将来的に考えれば“野手の方が面白い”ということだったようです。《センス》というひと言でまとめちゃいけないのかもしれないけど、要はそういうことだったそうです(笑)」

「中学時代に戻れるなら野村克也の指導を受けたい」

中学進学時、「港東ムースに入るかどうか迷った」と井端は言った。改めて、「もしも中学時代に戻れるとしたら、どんな決断をしますか?」と尋ねる。

「もちろん、港東ムースに入りますね。直接、野村さんの教えを受けてみたかったし、高いレベルでプレーしてみたかったから」

何の迷いもない口調が印象的だった。

2022年、井端はU-12野球日本代表監督を務め、ワールドカップを指揮した。

メダル獲得はならなかったが、彼が今、少年たちの指導に力を注いでいるのは野村の影響だという。

「野村さんがやってきたことは強く意識しています。僕が今、少年野球の指導をしているのは、野村さんが引退後に最初に監督となったのがそこだからです。やっぱり、ここをきちんと教えられれば、たぶんプロ野球の監督だってたいしたことないという気がします。子どもたちを指導するということは、半端なく難しいです。ここで変なクセをつけてしまったら、高校でそれを取り去るのはすごく大変ですから。それはやっぱり、責任重大ですよ」

かつて、生前の野村が口にしていた「プロ野球の原点は、少年野球にあり」という言葉を、井端は今、身に沁みて実感している。