司法修習所でも、弁護士の高額所得番付でもトップ

筆者はロンドン在任時代に、在英日本大使館の書記官をしていた長野と、よくゴルフを楽しんだものだ。

場所は、2019(令和元)年に渋野日向子が全英オープンで優勝を飾ったウォーバンゴルフクラブが多かった。

頭脳明晰めいせきな官僚が、このような形で大蔵省を去ることになったのは、わが国にとって大きなマイナスではないかと惜しまれた。

「二回試験」と呼ばれる司法修習所終了時の試験でも、長野はトップだったという。

大蔵省を辞めて弁護士となった長野は、西村あさひ法律事務所のパートナーとなって活躍した。長野は、大蔵省からの去り方が納得できるものではなかったので、弁護士になってからは、高額所得者番付のトップクラスになれるくらいの努力、活躍をしようと、密かに心に誓ったと筆者に語ったことがある。そして本当に実行した。

ある年度には、弁護士の高額所得者番付のトップ10入りを果たした。

「花の昭和41年組」

しかし、長野の目的は金銭ではなかったので、その後はとくにがむしゃらに働くこともなく、最近では徐々に企業の顧問などの立場も退き、身辺整理をしているという。

ちなみに、長野厖士が大蔵に入省した1966(昭和41)年の同期は、東大法学部卒の20名を含めて22人おり、「花の昭和41年組」といわれるほど優秀な人材が多かった。

恩田饒『実録 バブル金融秘史』(河出書房新社)

とくに、長野厖士(証券局長)、中島義雄(財政金融研究所長)、次官になった武藤敏郎が若い頃から次官候補といわれていた。

その他にも、岡田康彦(環境庁次官)、塩田薫範のりしげ(公正取引委員会事務総長)、井坂武彦(造幣局長)、佐藤謙(防衛事務次官)、森昭治(金融庁長官)、北朝鮮拉致担当参与としてテレビにも出演することがあった中山恭子(大臣官房参事官)など多士済々だった。

いずれにせよ、若くして権力の座である大蔵省の官僚として国に貢献し、熟年となってからは弁護士として世の中のために尽くすことができた長野は、一つの理想的な人生を送ったといえるだろう。

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