「教育困難大学」に勤務する教員の苦労

「教育困難大学」の実態を知る手がかりとして、このような大学に勤務している大学教員を取材した。

取材に応じてくれたのは60代男性、古川さん(仮名)である。彼は、大学院卒業後、数校の大学で非常勤講師として働いた後、1990年代初めから現勤務校であるB大学に常勤教員として採用された。B大学は幼稚園、高校他を展開していた関東地方の私立学校法人が母体で、1960年代後半に社会科学系の単科大学として発足した。その後の変遷を経て、現在は2学部、在学生数約2000人の小規模大学である。

キャンパスは主要鉄道の駅から約2キロメートル離れた住宅街にある。母体となった学校法人の活動も周辺地域に限定していたので全国的な知名度が低いため、学生募集に苦しむ年が多かった。90年代以降は、AO入試など多様な入試方法を取り入れ、また、学費の軽減措置を手厚く行って多数の留学生を受け入れる等の努力で大学の存続を図ってきた。

一方、学生や教職員の不祥事が少ないこと、慎重な経営方針を取って来たこと、時々の大学改革の方向性を忠実に実現してきたこと等もあり、高等教育の質を評価する大学評議委員会の認証評価に合格して正会員になっている。

1990年代にB大学で専任教員となった古川さんは、このような大学の変遷を渦中で体験してきた方だ。専門分野の授業の他に、新入生対象の、いわゆる「初年次教育」やゼミも30年近く担当してきた。大学教員には学生の教育面にあまり関わりたがらない人も多いが、古川さんは真面目で誠実な人柄から、学生指導にも熱心である。

また、B大学での勤務の他に、複数の国立大学の非常勤講師も長く兼務しており、大学間の学生の学力差についても熟知している。

「先生、おれら勉強、できないからさ」

取材の最初に、長い勤務期間中の学生の変質に関して聞いた。彼は過去を振り返るかのように少し時間を置いてから、「そうですねえ。ここで働き始めた90年代前半から半ばの頃の学生が最も活気があったような気がします。こちらが若かったせいもあるのでしょうが、良きにつけ悪しきにつけ意欲がありましたね」と応えてくれた。

「今の学生は、大人しいのですが、だからって真面目なわけではない。何事にも興味を失っているのか、縮こまっている気がします」と学生の気質についての感想を語った。

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学力面を聞くと、「基本的にはあまり変わらない気がするのですが」と言った。その上で、「この学校に勤務した最初の年、ある授業でいかにもヤンキー風の学生に言われたことを覚えています。『先生、おれら勉強、できないからさ。そこんところわかってもらって、適当にやってよ』と言われたんです。驚きましたよ」と話してくれた。

この話は、1990年代の大学改革で新たに大学に進学するようになった高卒生の一部の姿を如実に表している。この頃、学力上位層が集まる大学での「学力低下」が社会的に関心を集めたが、もともと学力が低い層が進学する大学では、学費が調達できて保護者が子に大学進学させたい高卒生が新しい入試方法を使って入学するようになったのだ。