お祭りが終わった時の、寂しさを経験していなかった
駒一はさ――と彼女は続けた。
「生まれたときからサーカスだったからね。やっぱり彼にとってみれば、あの場所から出るっていうのは、本当に勇気が必要なことだったんだと思う」
いて欲しい、でも、いなければならない、でもない、「いてもいいよ」という場所――そんなサーカスの世界から一歩足を踏み出せば、そこには全く異なる現実が待っている。
「サーカスにいれば、ご飯も心配なく食べていけたし、困ったことがあれば誰かがどこかで助けてくれた。でも、もともと外の世界から来たわたしは、未来永劫、ずっとそんな関係が続けられるとはやっぱり思っていなかった。お祭りというのはいつかは終わるものだから。でも、駒一は違ったのね。お祭りが永遠に続くと思っていた。どこかでの公演が終われば、次の場所に移動すればいい。彼はお祭りというものが終わった時の、あの寂しさを経験したことがなかったのね」
駒一さんは美一さんと別れるとき、中国人の若い彼女と一緒になれば、自分は必ず幸せになると言った。でも、幸せというものは「生き方を右から左へと移したからといって実現するものではない」と美一さんは言う。幸せになるために何をすべきか、そのためにはどんな目標を持ち、いつまでに何をすべきかを一つひとつ順番に考え、実行していく必要がある。美一さんはそう考えている。
「本来であれば、そこからがスタートなのに、サーカスで育った駒一にはそれができなかったのだと思う。わたしは中国のその子は国籍が目当てなんだ、と何度も説明した。駒一は『それでもいい』と言った。幸せになると言ったあの言葉は何だったんだろう。一つの家族を壊して出ていった彼には、それを実現する義務があったとわたしは思っている。それが悔しい」
本当に「とても家族的な場所」だったのか
僕がサーカスにいたとき、隣のテントに春子さんと甲子雄さんという芸人の夫婦が暮らしていた。甲子雄さんはかなりの高齢だったが、舞台でのドラムロールを担当していた。その彼がサーカスを出て一年後に死んだとき、サーカスの幹部がこう言っていたと美一さんは話す。
「サーカスの男っていうのはさ。寂しくて死んじまうんだよな……」
二カ月に一度、「場越し」のように模様替えを繰り返す駒一さんを見たとき、美一さんが思い出した言葉だ。
どうして連くんにその話をするかというとね――と言いたそうに、美一さんは少しため息をつくように続けた。連くんにとってサーカスという場所は、とても家族的で、人生にとっての良い経験と感じられる場所かもしれない。でも、わたしからすると、あの場所はもう少し別の世界だったように思うの……と。
「わたしたちはサーカスの中で、お互いを姐さんや兄さんと呼んでいたわけだから、一つの家族という意識は確かにあったと思う。でも、あの場所は気の合う仲間が集まっただけの、もっともっと気楽なコミュニティだったんじゃないかな。周りにいつも誰かがいて、助けてくれる人もいて、寂しい思いもしない――。そう考えればサーカスはいい場所かもしれないけれど、その先にある人生とはどういうものなのか、って」