20歳前後の戦没学生がなぜ難解な語彙を操れるのか
本書をここまで読んできた読者の中には、特に第一点を見て思わず胸に手を当てたくなった人も少なくないのではないでしょうか。戦前の格式ばった総長式辞に読み方のわからない漢字や意味の理解できない漢語があふれているのはまだ仕方がないとしても、第2章(※編註:第1回記事で抜粋している)で紹介した戦没学生の手記を読むと、たかだか20歳前後の若者とは思えない難解な語彙や表現が当然のように、しかも適切かつ的確に用いられていることに驚かされ、自分の無教養を恥じずにはいられません。
これにはもちろん、旧制高校的教養主義の伝統が与って大きいのでしょうが、矢内原の言葉にあるように「知らないといふ事自体は大した事ではない」のであって、問題なのは漢字や漢語の正しい使い方に習熟していないこと、「文字とことばについての文学的なセンス」が磨かれていないということです。
つまり新制の学生たちに欠けているのは、単なる知識ではなく、むしろ対象をより的確に把握するための言語感覚であり、さらにいえばこれを支える根源的な思考力なのであって、だからこそ第二点・第三点のような指摘もなされているのでしょう。
戦後日本の教育は「教養」の密度を薄めたのでは
出征を前にした戦時中の学生たちの思考や感情が、目の前の現実として切迫する死の可能性に直面して極度に濃縮され、その張り詰めた緊張が年齢を遥かに超えた成熟を否応なくもたらしたのだとすれば、そうならざるをえなかった彼らの苛酷な運命には粛然たる思いを禁じ得ません。
しかし一方、戦後日本の教育が良くも悪くも「教養」の密度を薄めてしまったのだとすれば、それはやはり問題ではないかという思いも湧いてきます。時代の変遷とともに言語感覚が変化していくのはやむをえないことですが、ともすると安易な決まり文句や断片的な単語の羅列に流れてしまいがちな今の学生たちの文章を見ると、「何でも知つて居ることを雑然と書きならべるといふ風」や「思想的訓練の弱さ」が新制大学発足当時の学生だけの話ではなく、現代の学生たちの間でますます深刻化していることを実感せずにはいられません。
ただし、矢内原総長はこうした危惧の念を表明する一方で、新制の卒業生のほうがすぐれていると思われる点も挙げています。それは第一に「知識に対する新鮮な興味を広くもつて居る」こと、そして第二に「頭脳に弾力性があつて、今後伸びて行く潜在的可能性を感ぜしめる」ことです。
式辞の後半では1949年に新しく設けられた教育学部、および教養学部教養学科(3、4年生の後期課程)の第1回卒業生を送り出すことについての言及がありますが、それはこうした新学部・新学科の創設が、上記のような新制卒業生の長所を最大限に引き出すものであってもらいたい、という期待の表れでしょう。