1953年の東京大学では旧制向けと新制向けの卒業式がそれぞれ行われた。新制向けの卒業式で、当時の総長だった矢内原忠雄(在任1951~57)は学生に対し「旧制の学生より見劣りする」と語った。それは何か。東京大学名誉教授の石井洋二郎さんの著書『東京大学の式辞』(新潮新書)より紹介しよう――。(第2回)
赤門
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旧制向けの卒業式では学生運動に言及

1953年(昭和28年)3月28日には、旧制向けの卒業式と新制向けの卒業式の両方が挙行され、それぞれ異なる式辞が読まれています。

旧制向けの式辞では、まず占領下の日本において学生運動が熾烈しれつ化したことへの言及があり、それが民主化の促進と占領政策への批判の表れである限りにおいては首肯しうるものであるけれども、学外の政治勢力と結びついて非合法的な実力行使の様相を呈するならば、それは学生運動の正当な範囲を逸脱したものであって到底容認できないという、従前通りの主張が述べられています。

特にこのとき矢内原総長が念頭に置いていたのは、前年(1952年)の2月から9月まで、先に触れたポポロ事件をきっかけとして全学連指導下の学生運動が過激化した時期のことでした。血のメーデー事件もそのひとつですが、彼によれば、この時期に展開された運動は「日本の民主化を推し進めるものでもなく、大学の自治を守るものでもない」。そして「一般学生諸君からの明示もしくは暗黙の批判」があったおかげで、10月以降は急速に鎮静化していったと回想されています。

新制向けの卒業式で触れられた「見劣りする点」

一方、新制向けの卒業式ではがらりと趣が変わって、自分が教授としての定年を迎えて最後の試験答案の採点をした結果、「新制の卒業生は旧制の卒業生に比し、若干見劣りする点がないではない」という、率直な印象が披瀝ひれきされています。どういう点が見劣りするのかというと──。

第一に、漢字の知識、並に漢字を用ひての表現の仕方においてである。知らないといふ事自体は大した事ではないが、問題は不熟な漢字もしくは漢語を使用するといふ事にある。文字とことばについての文学的なセンスがよく養はれて居ないといふ感じがする。

第二に、思索の対象たる問題を限定して、その中心を客観的に把えるといふ態度において弱さがあり、何でも知つて居ることを雑然と書きならべるといふ風が感じられる。

第三に、自己といふものの把握が確立して居らず、思想的訓練の弱さが感じられる。