太平洋戦争中、東京大学の総長は入学式でどのような式辞を述べたのか。石井洋二郎『東京大学の式辞』(新潮新書)より、第13代総長、平賀譲(在任1938~43)の式辞とそれを聞いた学生の反応を紹介しよう――。
新築当時の東京帝大大講堂(安田講堂)
新築当時の東京帝大大講堂(安田講堂)(写真=ノーベル書房編集部『写真集 旧制大学の青春』/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

太平洋戦争開戦直後の卒業式での式辞

ヨーロッパでは1939年9月、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻を契機として第2次世界大戦が勃発しました。日本は翌年(1940年)9月、日独伊三国同盟に調印し、枢軸国のひとつとして大戦への関与を深めていきます。同年10月には近衛文麿首相を総裁として「大政翼賛会」が組織され、もはや戦争への傾斜は押しとどめることのできない情勢となりました。

そして1941年(昭和16年)12月8日、日本は真珠湾攻撃によってついに太平洋戦争の火蓋を切ります。その直後の12月27日、非常事態に鑑みて時期を3カ月早めて挙行された卒業式で読まれた平賀総長の式辞は、次のように始まっています。

本日八日畏くも大詔たいしょう渙発かんぱつし給ひ、米、英両国に対して戦を宣せられ、今や干戈かんか相見あいまみえ、国家の総力を挙げて征戦に従ひ、一億臣民心を一にして、我々日本人が祖先より承けた大使命の達成に邁進してゐるのであります。戦が長期戦となることは覚悟の上であります。我等は必勝の信念を堅持し、飽までこの乾坤一擲けんこんいってきの大戦争に勝ち抜いて、大東亜新秩序を建設し、以て世界の平和に寄与せねばなりません。

「干戈」の「干」は盾、「戈」は矛の意で、「干戈を交える」で「交戦する」の意。いよいよ米英との戦いが始まったのだから、国民が一丸となってなんとしても勝利をかちとらなければならない、そしてそれは大東亜新秩序の建設によって世界平和を実現するためなのである、というわけで、ほとんど檄文げきぶんに近い内容です。