裏切り情報を信じようとしない

1570年、越前の朝倉義景を討伐するため、信長は軍勢を進めました。その途上、驚くべき情報が舞い込みます。信長の妹・お市を嫁がせていた北近江の浅井長政が、朝倉方に寝返ったというのです。このままでは挟み撃ちにされてしまいます。

浅井の裏切り情報は、次々に信長のもとに届けられました。一般的な信長のイメージならば「何っ!」と怒って、家臣に八つ当たりをしたりして、その後、すぐに退却しそうですが、現実はそうではありませんでした。

まず、浅井の裏切り情報を信じようとしなかったのです。浅井長政には、北近江の支配を任せてあるし、縁者でもある。何ら不満・不足はないはずである。そう思って、すぐに撤退しようとはしなかったのです。

が、その後も、続々と裏切り情報が寄せられたことから「是非に及ばず」(仕方ない)としてやっと退却を決意したのでした。謀反と聞いても、すぐに信じようとしない信長。一件だけなら「偶然か」と思うかもしれませんが、他にもまだあるのです。

1577年、大和を本拠地とする家臣・松永久秀が謀反した時、信長は「どのような事情があるのか。思うことを申せば、望みを叶えてやろうではないか」(『信長公記』)と述べたのです。

太平記英勇伝:十四、松永弾正久秀(写真=東京都立図書館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

わざわざ使者を派遣して、松永に機会を与えていますが、松永はそれに応じることはありませんでした。

「物わかりのいい上司」として

1578年、今度は摂津国の荒木村重が「逆心を抱いている」との情報が入ってきます。ここでもまた、信長は荒木の謀反情報を事実ではないと思ったようです。そればかりか「何か、不満でもあるのだろうか。荒木が考えることがあるなら聞いてやろう」ということで、荒木村重のもとに使者を派遣するのです(『信長公記』)。

使者に対し、荒木は「野心は少しもありません」と返答。使者から、この事を聞いた信長は大喜び。しかし、現実には荒木は謀反心を抱き、程なく挙兵します。

一般的な「信長イメージ」ならば、味方の裏切りに激怒し「一気に松永、荒木を攻め潰せ」などと言いそうです。ところがそうではなく、まずは家臣に調停を命じているのです。味方と争わず、穏便に収めることを信長は願ったのでした。結果として、両者は主君の思いを受け取ることはありませんでした。

このように、信長は何度も裏切られていますが、容易にそれを信じようとはしていませんし、「不満があるなら聞いてやろう」と「謀反人」に対し、温かく接しようとしています。怖い上司ではなく、物わかりの良い上司、そういった感じです。信長は「魔王」とまで言われることがありますが、前掲の逸話を総合すれば、まるで「菩薩」でしょう。