人間臭いエピソード
とはいえ、短気な面もやはりありました。
徳川家康を安土城下に招いて(1582年)、能見物をした際、演じた梅若大夫が不出来だと言うことで、とても怒ったようです(『信長公記』)。別の者(幸若大夫)に舞を演じさせて、その出来が良かったことで、機嫌は直り、幸若大夫には黄金10枚が下されます。
梅若大夫には、能の出来が悪かったので「褒美などやりたくない」と感じたようですが、黄金を出し惜しみしていると、世間の評判となっても恥ずかしいと思い、梅若にも黄金10枚をやるのでした。
このように、信長は世間の目(評判)というものも気にする人だったのです。