織田信長とはどんな人物だったのか。歴史学者の濱田浩一郎さんは「感情ではなく論理を優先する武将だったと考える。家臣の裏切りに対し、まずは説得を試みたのはそうした気質だったからだろう」という――。
織田信長像
織田信長像(画像=狩野元秀/東京大学史料編纂所/愛知県豊田市長興寺所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

NHK大河で強烈な印象を残した岡田准一の信長

今年のNHK大河ドラマ「どうする家康」において、信長の攻撃的な言動が話題になりました。

岡田准一さんが演じる織田信長は、桶狭間の戦いで今川義元を破った際、その首をぶら下げた槍を、敵陣めがけて投げ付けるという挙に出ています。

今川方の部将だった徳川家康(演・松本潤さん)のもとに迫る信長。それを知った家康は「あの男はまともではない! あれはケダモノじゃ。飢えた狼じゃ」と身体を震わせて、信長のことを恐怖するのでした。

「待ってろよ、竹千代(家康の幼名)。俺の白兎」と馬を走らせ、不敵な笑みを浮かべる信長。「どうする家康」の初回にして、早くも信長は迫力と狂気に満ちた「覇王」との印象を視聴者に与えたのでした。ちなみに「俺の白兎」というワードは、ツイッター上でもトレンド入りをするほどの反響を呼びました。

思えば、1996年に放送された大河ドラマ「秀吉」でも、渡哲也さんが演じる信長は、テレビ画面を通してでも、その迫力と威厳に圧倒されたことを今でもよく覚えています。

史料に残されている意外な姿

信長の性格を象徴する話として、比叡山焼き討ち(1571年)があります。

越前の朝倉氏、近江の浅井氏に加担する比叡山延暦寺を敵とみなした信長は、一堂一宇余さず、焼き払い、さらには、逃げ惑う山下の老若男女。彼彼女らが逃げ込んだ先にも、信長軍は攻め入り、僧俗・児童を捕らえ、首を刎ねたと伝わります(『信長公記』)。

数えきれぬ女性や子供らも信長の前に引き据えられてきました。

「悪僧は首を刎ねられても仕方ありませんが、我々は違います。命ばかりはお助けください」と哀願する人々。しかし、信長は命乞いを許さず、首を刎ねよと命じたのでした。数千の死体が辺りに散乱していたと言われます。

宣教師ルイス・フロイスも『日本史』において、「彼(信長)は日本のすべての王侯を軽蔑し、下僚に対するように肩の上から彼らに話をした。そして人々は彼に絶対君主に対するように服従した」と記しています。

そうしたことから、これまでのドラマや小説において、周りから畏怖されるような恐ろしい存在として描かれるのは当然だとは思います。

ただ、史料を読み込むと、そうした姿とは真逆の意外な信長像が浮かんでくるのです。