画面越しでは見られない世界があると、若者たちは気が付いた

スマホの登場は世界を変えた。人々はいつも情報と接することができ、すきま時間を無駄にしなくても良くなった。移動中にニュースを確認し、仕事のメールに返信し、そして子供の居場所さえ手軽に確認できる。

だが、すきま時間を有効活用できる世界は、すきま時間が奪われた世界でもある。街の喧噪けんそうを感じながらただ歩いたり、電車に揺られながら車窓を眺めたりする時間は、ずいぶんとぜいたくなものになった。

スマホ越しにつながろうとするほど、心はすり減る。ガラケーならどうだろうか。連絡先交換を持ちかけられての「LINEやってないんです」は時として説得力に欠けるが、「ガラケーなんです」と取り出してみせれば角は立たないかもしれない。

ガラケー全盛期よりも少しばかり大きくなったスマホのディスプレイは、私たちからますます多くの時間をのみ込んでいっている。それと反比例するかのように、実世界への興味は驚くほど小さくなった。しじゅう画面越しの世界を眺める若者たちが、スマホ疲れに悩むのも無理はない。

スマホのない生活は、まるで別のゲームだ。空を見上げて雨が降るかを占い、道行く心温かい人々に場所を尋ねながら、自分が信じたルートで目的地へと向かう。スマホにぎっしりと詰め込まれた演算チップではなく、自分自身の脳で判断する人間らしい体験がそこにはある。

もちろん、現代社会を生きるすべての人々が実践可能な試みではないし、スマホの存在が悪というわけでも決してない。それでも、ガラケーひとつをポケットに突っ込んで街へ繰り出すニューヨークの若者たちは、ちょうど20年前には誰もがそうであったように、手探りで世界を生きるやり方に魅力を見いだしているようだ。

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