「サイゼリヤン」の愛が冷める瞬間
企業やブランドのファンも似たところがある。
例えば、サイゼリヤがこれまでの方針を急に変えて、人気お笑い芸人をつかって大量のテレビCMを流すようにしたとしよう。「今月はミラノ風ドリアがなんと200円!」なんて感じで安さを押し出した広告キャンペーンも始めた。
「サイゼリヤン」も最初は喜ぶかもしれない。しかし、次第にサイゼリヤに対する愛がかつてよりも冷めていくはずだ。
まず、テレビCMや「激安」を押し出したキャンペーンの効果で、これまでサイゼリヤに足を運んでいなかったような「ミーハーな客」が大挙して押し寄せるので、スシローやくら寿司のように、店の入り口で整理券を渡されて「180分待ち」なんてことになって辟易とする。そうなると、一部のサイゼリヤたちが楽しんでいた、リーズナブルなワインとツマミで大満足できる「サイゼリヤ飲み」なんてのも許されなくなってしまう。
広告宣伝で客層が変わって、「ミーハーな客」が爆発的に増えれば、店内の雰囲気も変わるし、接客スタイルも変えなくてはいけない。すると、「今のサイザリヤ」が好きなファンは裏切られた思いがする。中には、「昔の方がよかった」とファンをやめていく人たちも出てきてしまうのだ。
一方的な押し付けでは愛や信頼は生まれない
繰り返しになるが、広告宣伝やプロモーションを否定するつもりは毛頭ない。ブランドの認知や売上につながる効果的な施策だとも思う。
ただ、どんなものにも良い面と悪い面があるのだ。広告宣伝のようなプッシュ型コミュニケーションの場合、どうしても「一方的で押し付けがましい」ので、クチコミなどに比べて信頼関係が生まれにくい。広告で訴求していた通りの「安さ」や「品質」などを提供できているうちはいいが、ちょっとでもそこに齟齬が出てくると、「広告と違う」「嘘ばっかり」と一気にアンチが増える。そして熱烈なファンも少ないので擁護論も盛り上がらず、フルボッコで叩かれてしまうのだ。
このあたりは個人も法人も変わらない。もし皆さんのまわりに自分がいかにすごい人間かを強烈にアピールしてくるような「一方的で押し付けがましい人」がいたと想像していただきたい。
そして、この人が何か問題を起こしたとしよう。「やっぱりな」と妙に納得して、仲間と悪口を言ってしまわないか。少なくとも、擁護をしようとは思わないのではないか。個人も法人も「一方的な押し付け」ではなかなか「愛」や「信頼」は生まれないのだ。
もし「愛され企業」になりたいならば、まずはカネで自分たちの魅力を喧伝するようなことを控えてみてはいかがだろうか。