「あんな凍傷は見たことがない」

先輩の森下亮太郎さんは、栗城さんが凍傷になった後、頃合いを見計らってメールを送っている。「ご心配かけてすみません」と返信があったそうだ。

「凍傷だと聞いてさすがに心配になりましたけど、一方では『何やってるんだ?』と腹立たしい思いもありました。冬山のトレーニングをしっかり積んでおけば、凍傷になりかかったらすぐに気づくはずなんです。『指の体温が戻りづらい。おかしいな』って。その感覚が養われていないのは、準備不足と自己管理ができていない証拠です。今の時代、凍傷は登山家の勲章にはなりません」

ある疑念を、森下さんは抱いたという。

その疑念は多くの登山家に共通していた。佐藤信二さんは言う。

「1本2本ならわかるけど、彼の場合、凍傷の境目が何本もの指にわたってきれいに一直線になってる。ああいう凍傷はちょっと見たことがないですね」

エベレスト4回目の遠征メンバーは、森下さんが副隊長を務めたころと大きく変わってはいない。森下さんは今も交流が続く隊員の一人からある情報を得ていた。

「登頂を諦めて『下りる』って言ってから、4時間も無線連絡が途絶えた、呼んでも返事がなかった、って……。何してたんだ? って思いました。それで最初は、栗城が自分で手袋を外して、雪の中に指を突っ込んだんじゃないかって……凍傷になるために、わざと……ここまでひどくなるとは想像せずに……」

その後、22時間も外にいたと知って多少は自作自演の疑念を拭ったが、そんな長時間行動すること自体、高所登山のセオリーを無視している。

「カッコイイ大人の姿」の代償

栗城さんの凍傷は、広い意味で言えば、やはり演出上の誤算だったのではないか?

彼は「登山を面白くしたい」と語るエンターテイナーである。観客の目を常に意識していたはずだ。出国前の記者会見で、栗城さんはこう発言している。

「これが最後のエベレストになるかもしれない」

それだけではない。大きな構想を語っていた。

「これまでの登山と今回の映像をドキュメンタリー映画にまとめたい」

リアルドキュメンタリー夢教育映画「エベレスト・ライジング」──そう命名していた。全国の小中学校での無料上映を想定しているという。その製作意図を、会見でもブログでもこう説明している。

「夢に向かうカッコイイ大人の姿を伝えたい」

公開予定は翌2013年夏だった。制作費が不足しているとして、クラウドファンディングで一般からの出資も募っていた。

栗城さんはこの映画用の「強いシーン」が欲しかったはずだ。

停滞を長引かせて観客をハラハラさせ、追い込まれた状態になってから必死にもがく……。過酷な西稜ルートを舞台に選んだのも、映画が面白くなりそうだという直感からかもしれない。

「今回は空からの撮影も行なう」と、栗城さんはラジコンヘリコプター3機を手配し、そのオペレーター2人を現地に同行させている。

だが、舞台となる西稜の“売り”は強風である。ラジコンヘリなど簡単には飛ばせない。順応登山の段階では撮影できたが、舞台の「山場」である登頂アタックに入ってからの空撮映像はなかった。

エベレストでの不可解な行動の真相

子どもに夢を与えるのは、普通に考えれば、何よりも「登頂」というクライマックス・シーンだろう。単純明快、ストレート、子どものハートのど真ん中を捉える。

河野啓『デス・ゾーン』(集英社文庫)

この作品がカッコイイ大人を描く人物ドキュメントだとするなら、観客の心を揺さぶることができるのは、唯一、主人公の行動だけなのだ。

難度の高い西稜ルートを選んだこと、遅いBC入り、強風や体調不良を理由にした高所キャンプでの長いステイ、山頂に届くはずのない標高差1348メートルの最終アタック、その22時間に及ぶ行動……栗城さんの4回目のエベレスト劇場は、不可解なシーンが連続した結果、凍傷という後味の悪いエンディングを迎えたのだ。

全責任は「演出家」に帰する……残酷だが、舞台の鉄則である。

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