ただ鶴岡さんは、ほめて伸びる選手と叱って伸びる選手を分けて、言葉がけをしていたらしい。野村監督は叱って伸びるタイプだと思われたのだ。しかし実際は違った。むしろ自分がどう思われているかということにすごく繊細なタイプなのだ。だから鶴岡さんの言動にずっと疑問や不満、そして不安を抱いていた。
不安とはどういうものか。野村監督のようにテスト生として、または僕のようにドラフト外で入ってきた選手は、監督やコーチに少しでも評価されたくて、いつも彼らの目を気にしている。「おっ、よくなってきたじゃないか」というなにげないひとことにどれだけ救われたことか。ドラフト1位のエリートとは、ここが決定的に違う。
「4000万円の時計」をつけていた理由
とくにクビと背中合わせの二軍生活を送り、実際にクビになりかけた野村監督は、その経験がトラウマのようになっていて、ホームラン王や三冠王を獲っても、身近な監督やコーチに評価されていないと不安でしかたなかった。
そういう不安と、長嶋さんや王さんに対する妬みが絡み合って生じた複雑な負の感情。この負の感情を闘争心に変換するために、自分と同じ匂いのする人間をテリトリーに置いて起爆剤にする。同じ匂いのする人間を仲間意識だけで終わらせず、闘争心の起爆剤にしたところが、彼の成功した理由のひとつだ。
とにかく、野村監督はエリートがきらいだ。そのくせ、きんぴかの指輪や時計、スーツ、ブランドものが大好きだ。
かつて空き巣に入られて、宝石類の被害総額が当時で2200万円だったというし、ヤクルトの監督をしていたときは4000万円の時計をしていた。かなりのブランドコレクターだ。
しかしあのきんぴかのセンスは、僕にはどうしても理解できない。
「こういうのをつけていないと安心できへんのや」
僕は指輪はもちろん時計もふだんはあまりしない。それに気づいた野村監督が「おまえらはやっぱりせんわなあ。大学出はせんわなあ。きんぴかの時計や指輪は高校出の共通点や」と例の調子でぼやいた。「ああ、そうなんすか」と答えると、「長嶋もせんやろう。こんなのをしているのは、俺とか張本とか江夏(豊)とか、高校出ばかりや」と言いながら左手首の時計をなでた。
きんぴかのセンスと高校出身者の関係性が理解できなくて「なんでですか?」と訊いたら、「こういうのをつけていないと安心できへんのや」と照れるように笑った。
野球は学歴でやるものではないし、まして野村監督は知性派といわれている。三冠王を獲ったスターでさえ、そういうコンプレックスが年齢を重ねてもあるんだなあと思った。
野村監督は頭のよい人だから、自分のコンプレックスを知っていた。
自覚していたから、そういう自分を客観的に分析できたし、そこを超えていたからこそ自然体でコンプレックスを人に話すこともできた。
とても複雑でわかりづらい性格である。まるで野球というスポーツそのもののような人だ。