グローバル化に限らず、経営はさまざまな非連続性に直面することしばしばである。金融危機、技術革新、災害、いずれも非連続な試練である。グローバル化とは、経営が対処しなければならない非連続性が増大するという現象である。ここにグローバル化の正体がある。必要になるのは、とにもかくにも経営人材である。英語が話せて異文化コミュニケーションのスキルに長けた担当者がいくらいても、経営者がいければ、非連続性は乗り越えられない。
そもそも全員が経営センスに溢れている必要ない。綜合のセンスがある少数の経営者がいれば、それ以外の人が担当者であっても会社はまわっていく。しかし肝心の「少数のリーダー」が育たないのが問題なのだ。「かつては、いわば企業の戦略を決定づけるような意思決定に近いところで、何人かのサムライみたいな人が大事にされていた。それが今では、そういう優秀な人までが、いわばルーチンの官僚化したような仕事ばかりを一生懸命夜中までやることの方が増えてしまっている」と三枝さんは嘆く。
もちろん、三枝さんは嘆くだけでは終わらない。ミスミの経営者を引き受けたのは57歳のとき。それまでの企業再生の仕事を手じまいにしてミスミの経営を引き受けた最大の理由は、日本の問題を解決するための一つのモデルとなるような「経営人材が育つ会社」をつくる、ということにあった。社長就任時には「ミスミでは経営人材が育つような経営をする」と社内外に公言している。「このまま再生の仕事を続けると、あと1、2社を手がけたところで自分の人生は終わりがくる」と計算した三枝さんは、経営人材枯渇の危機に対する解決策を身をもって示そうと決意した。それがミスミの経営という仕事だった。
これぞ経営者。強烈な当事者意識。全身で称賛したい。