多くの会社がこれと真逆のアプローチをとっている。その典型が「機能横断的なプロジェクトで横串を刺して…」という類の話。「横串論」が前提としているのは担当業務をこなしていく機能部門である。あくまでも機能担当部門が主になっている。横串は「従」であり、補完的手段に過ぎない。「創って作って売る」というタテのラインが主軸となっていなければ、経営の経験や試行錯誤も積みようがない。「創って作って売る」のユニットが自己完結しているからこその経営なのである。プロジェクトチームやタスクフォースで横串を刺してみても、商売丸ごとを動かす意思と能力を持つ経営者がいないことには変わりない。担当者が増えるだけで、ますます経営は混乱しかねない。何が主であるかがはっきりしているからこその軸足である。だから軸足は一つでなければならない。それが「創って作って売る」である。三枝さんの思考様式は徹底して明解である。

「創って作って売る」を単位とした商売全体の経験を繰り返し与え、抽象と具体を往復運動させて、因果律の引き出しを増やし、経営センスに磨きをかける。こうして経営人材が育つ。これが自然と起きるのを待っていると、入社して子会社の経営を任せられるような経営者になるまで、大企業なら下手をすれば2十年以上もかかってしまう。経営者は直接的には育てられないという三枝さんは、「創って作って売る」を一気通貫させる思想のもとで、ふつうなら2十年かかるプロセスを、その半分以下の時間に濃縮して経験できるような会社をつくろうとしたのである。実際、2008年にはミスミに45歳の社長が誕生している。急がば回れ、である。

「創って作って売る」を単位とする三枝さんの経営は、経営センスが育つ土壌をつくるだけではない。経営センスの有無を見極める仕組みとしても有効である。「国語も算数も理科も社会もできます」というのはスキルの幅が広いだけで、経営者という意味でのジェネラリストとは違う。6か国語を喋れても、人を動かす大演説ができるとは限らないというのと同じである。繰り返しになるが、経営者に不可欠な綜合力は「なぜかあいつは女にもてる」という類のセンスとしかいいようがないものである。だとすれば、国語算数理科社会の授業とは別にデートをしてみることが大切である。教室でテストをしているだけでは、だれがモテるかわからない。ところが普通の会社の中にはたくさんの授業科目のための教室があるだけで、デートする場がない。そこで三枝さんは、若いうちからデートができる場を整え、どんどんデートさせる。デートを繰り返していれば、だれがモテるかは一目瞭然である。

センスの見極めは、センスがある人に経営をやらせるためであるが、それ以上に、「センスがない人に経営をさせない」ためにも大切である。4教科の平均点が高いというだけでセンスのない人が経営トップになってしまうと、「代表取締役担当者」になる。ビジョンも戦略もない。経営不在で会社がどこまでも迷走してしまう。さあ困った、ということになっても、もうどうにもならない。センスがない人に打つ手はないからである。早く辞めてもらうに越したことはないのだが、当の本人が人事権を握ってしまっているので、それもできない。まわりにとって大迷惑な話である。