朝鮮民族の美を再発見した男

さて、日本美術の特徴のひとつに、日常の「道具」が美術化した領域がある。例えば桃山時代の陶工や、平安時代の蒔絵まきえ師などの職人の作品も、柳の唱える「用の美」につながる美意識に代表される物であろう。

さらに民藝運動では、当時の現代陶芸家濱田庄司らが「用の美」を実践として試みた点でも、大きな意味があったと思う。

柳についてはもうひとつ、朝鮮半島の特に李朝時代の美術工芸品に、改めて価値を見出した功績も大きい。これは朝鮮民族固有の美を評価したと同時に、外国製の美術品の「日本美術化」的な話とも関連する部分があると思う。

秋の野原に咲く草花を文様化した「秋草文」を描いた白磁染付などについて、そこに「悲哀の美」が感じられると論じた。

なお柳が創設した「日本民藝館」(東京都目黒区)にある《染付秋草文面取壺》(朝鮮王朝時代、18世紀前半)は、彼がこれに出会ったことで朝鮮の工芸美術に関心を寄せるきっかけになった作品で、かつ後の民藝運動の価値観にもつながっていったとされる作品である。

柳宗悦の偉大な功績

この「悲哀の美」という言葉が正しいかどうかをめぐってはさまざまな意見もあるが、柳が素晴らしいのは、こうした自身の考え方、あるいは感覚を言葉でつづることができたことであろう。

そうした、美の味わい(これこそ日本人特有の感性ではないか?)のような領域をきちんと言葉にできる人は、やはりなかなかいない。

山口桂『死ぬまでに知っておきたい日本美術』(集英社新書)

他方、彼の著した文章によって、「嗚呼、なるほど」と思った人は大勢いたはずで、この点では、美意識というのはつくる側のみならず、見る側、伝える側の美意識も付与されて生まれる面も必ず存在する好例だろう。

ただ、例えば織部のくつ茶碗のように意図的に実験的なものが生み出されたケースでは、あれはプロデューサーであった古田織部の指示かもしれないし、陶工自身が「こうしたい」と思ったのかもしれない。

グニャリとゆがんだ茶碗に幾何学的な模様を施し、黒白のモノクロームの表現をしたり、部分的に緑の釉薬ゆうやくをかけてみる……。こうした実践をアート性と見るか、デザイン性と見るかは永遠のテーマでもあるが、陶工たち自身に創作の意志がまったくなく、すべて依頼主の注文ということも考えにくいだろう。

ともあれ、日常生活で実用するモノの中に、「これは美しいフォルムだ、デザインだ」と思うような体験は当時から誰にでもあったはずだが、柳宗悦はそうしたことと美の関係性を、もしくは日本美術におけるそうした根源的な観点のようなものを言語化し再確認させてくれた、という点において大きな功績を残したと思う。

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