かつて日本には300もの城があったが、現在まで天守が残る城はわずか12しかない。歴史評論家の香原斗志さんは「明治政府が出した廃城令により、多くの城は壊されてしまった。12の城が残っているのは、どれも奇跡といえる」という――。
彦根城
彦根城(写真=Martin Falbisoner/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

なぜ日本には城が残っていないのか

日本では、大きな都市は城下町であることが多い。代表的な例でいえば、47都道府県庁の所在地のうち31は、かつての城下町である。明治の廃藩置県後、地域の中心都市に都道府県庁が置かれたケースが多かったが、当時はそれなりの都市といえば、たいていが城下町だったのだ。

都道府県庁所在地だけではない。日本には天守が現存する城が12あるが、そのうち弘前城(青森県)、松本城(長野県)、丸岡城(福井県)、犬山城(愛知県)、彦根城(滋賀県)、姫路城(兵庫県)、備中松山城(岡山県)、丸亀城(香川県)、宇和島城(愛媛県)は、県庁所在地にはない。

明治維新を迎えるまで、日本にはいかに城下町が多かったか、ということである。だが、そのわりには、日本には城が残っていない。

そもそも県庁所在地にあった城でいまも天守が残るのは、松江城(島根県)、松山城(愛媛県)、高知城(高知県)だけで、城跡の面影すら失われている都市が多い。

たとえば、群馬県庁がある前橋市にあった前橋城はほとんどが市街化され、関東七名城と謳われたこの城を偲ぶ遺跡は、一部を除いてほとんどが失われている。だいたい、県下一の高層であることが自慢の群馬県庁舎が、前橋城の本丸跡に立っているくらいで、群馬県には史跡を保護する意識などさらさらなさそうだ。

あるいは、福井城は本丸跡に県庁などが立ち並ぶが、一辺が200メートルを超える正方形に近い堀に囲まれ、城跡はよく保存されているように見える。しかし、それはかつての福井城のごく一部。もともとは東西と南北がそれぞれ2キロ前後もあった大城郭で、3重、4重の堀に囲まれていたが、それらの堀はみな埋められ、城跡は市街化されてしまった。

福井城
旧福井城天守の場所に福井県庁がたつ(写真=663highland/CC-BY-2.5/Wikimedia Commons

ヨーロッパの街並みとの違い

ヨーロッパに行くと、こうした日本との違いを強烈に感じさせられる。多くの街で旧市街は中世や近世の姿をとどめ、城も、権力者の宮殿も、それらを取り囲む街並みも、残されていないほうが珍しい。

一方、日本では少なくとも近年まで、経済合理性に反する過去の構築物は、平気で壊されてきた。木造と石造の耐久性の差、という単純な話ではない。過去の景観に価値を見いだすかどうか、という話だと思う。