「廃城」にされた城の末路
松本城のように救世主でも現れないかぎり、「廃城」とされた城の扱いは、じつにひどいものだった。
天守のほか、ランドマークとなっていた櫓なども軒並み取り壊された。そういう城の多くは明治、大正、昭和と破壊が重ねられ、長岡城(新潟県)のように、城があった痕跡すら残っていないケースもある。
城を中心に形成されていたかけがえのない景観も、一部の例外を除いて失われてしまった。たとえば、海に面した「海城」として知られた高松城(香川県)。城の前の海を埋め立てないでおけば、ヴェネツィアのような景観が維持され、内外から多くの観光客を集めただろう。
湖に浮かぶ城も、かつてはたとえようもない美しさだったようだ。しかし、諏訪湖に突き出すように築かれ「諏訪の浮き城」と呼ばれた高島城(長野県)は、周囲を無残に埋め立てられ、琵琶湖に浮いていた膳所城(滋賀県)は、石垣すらほとんど残っていない。
ヨーロッパでは多くの場合、旧時代から継承された景観が積極的に守られてきた。片や日本では明治以来、西洋化を試みて、日本古来の景観の価値が忘れられることが多かった。ほんとうは、伝統的な景観を守ることこそ西洋的であるにもかかわらず。
西洋化というベクトルは、いつしか経済合理性に置き換えられて、「邪魔な石垣」は撤去され、「無駄な堀」は埋め立てられていった。
だから日本では、城下町に城があまり残っておらず、あっても無残な姿であることが多い。だが、昨今の城ブームを受け、城の整備に取り組む自治体も増えている。それが、単なるモニュメント作りに終わらず、ヨーロッパのような城をふくんだ歴史的景観の形成に結びつくといいのだが。