明治期の日本美術は急激な西洋化で存亡の危機にあった。そのとき日本美術の危機を救ったのが、『The Book of Tea』(茶の本)などを著した思想家の岡倉天心だった。岡倉天心は英語が堪能で、戦前のアメリカで差別発言をぶつけられたときも、英語で華麗に切り返したとされている。クリスティーズジャパンの山口桂社長の著書『死ぬまでに知っておきたい日本美術』(集英社新書)より紹介しよう――。
古美術と骨董はどう違うのか?
古美術と骨董はどう違うのか? というのは私もよく聞かれるが、いまだに答えが難しい。
一般的には、骨董品といえば、語源である「ごたごたした雑多な物」という意味から離れた希少価値のある古美術や古道具のことであろう。ただ私にとって骨董という言葉は、何かとても「身近で懐かしい感じ」がある。
古美術品よりも骨董と言ったほうが、家にある感じがするとでも言おうか。そうした感覚も日本的なのかもしれない。おそらく外国では、言葉の上では骨董も古美術品もアンティークで、両者の違いを明確にあらわす言葉はないのではないか。
ただ骨董品というと、人形、時計やカメラ、箪笥や蓄音機のようなものも含まれる点では、古美術品と区別されるとも思う。
これらはオークションでも扱われるが、やはり美術作品とは呼ばれない。また、いわゆる真贋の狭間にあるようなモノは、骨董としては通用するが、贋作とされるものはやはり美術品とは呼べない。
日本美術における2人の功労者
突き詰めれば、美術品として一定のクオリティを持っているかどうかで、これもやはり曖昧な領域を含む話になるだろう。
私は、実際に何を古美術品と呼ぶかというよりは、何をそう呼ばないのか(例えば「骨董」と位置づけられる人形や時計、カメラなど)を考えたほうが、この問いの答えに近づけるような気もしている。
日本美術の長い歴史における功労者というのも、あまねく挙げていくと枚挙にいとまがない。そこでここでは、「日本美術とは何か」という本稿のテーマを考える上で、また現在の私たちが日本美術に親しんでいる状況を考える上でも重要な、ふたりの日本人に触れておこう。