権力維持のための票田

なぜ、オルバン氏はハンガリー系住民の支援に、こだわるのだろうか。

「目的は大きく分けて二つある」。ハンガリー社会科学センターのバールディ・ナーンドル主任研究員は語る。

一つは、国民の民族意識を高揚させることだ。ハンガリーは民主化以降、欧米からの投資を受け、経済を発展させてきた。2004年に念願だったEU加盟を実現し、より多くの企業がハンガリーに進出した。だが、米国で起きたリーマン・ショックが2009年、欧州に波及。海外債務が大きかったハンガリー経済は大打撃を受け、ハンガリーから投資を引き上げる欧州企業が続出した。危機の際にハンガリーを見捨てた西欧を、ハンガリー人は容易に信頼できなくなったのだ。

「オルバン氏は、『ハンガリー人の連帯』を訴えることで、『西欧化』という目標を失った国民のアイデンティティーを刺激し、政権の求心力を高めようとした」(ナーンドル氏)という。

もう一つは、他国のハンガリー系住民を自らの「票田」にすることだった。先述したカタリン・バルナさんのように、選挙権を得た他国のハンガリー系住民はオルバン氏を救世主とあがめる。2018年の選挙では、ハンガリー系住民の96%がオルバン氏率いる与党に投票した。

特にオルバン氏に喝采を送ったのが、EUに未加盟で、1人あたりの国民総所得(GNI)が、隣国で最も低いウクライナのハンガリー系住民だった。

ウクライナに取り残された自国民

ザカルパチア州では、約14万人のハンガリー系住民が国境沿いに集中する。同州は元々ハンガリー領だったが、第一次大戦後にチェコスロバキア領になった後、一時自治権を持った。1939年にハンガリーが奪い返したものの、第二次大戦後に旧ソ連が占領。最終的に旧ソ連の一部だったウクライナに組み込まれたという複雑な歴史を持つ。

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ウクライナは1991年に独立。南部のクリミアは自治権が認められ、独自に議会を設置した。「当時、首都キーウから遠いザカルパチア州でも自治権獲得の動きがあった」。歴史家のジュラ・コスチョー氏は説明する。1991年に自治権獲得を巡る住民投票が実施され、7割以上が自治権取得に賛成したが、ウクライナ政府には無視されたという。

ベレホベでカフェを経営するヤキメツ・ムリコラさんは言う。「遠いキーウからザカルパチア州のことがわかるわけがない。国土が広大なウクライナは連邦制にして、地方のことは地方で決めるようにするべきだと思う」

オルバン氏は2014年5月10日、議会でこう発言している。「ウクライナに住むハンガリー人には自治権を持つ資格がある。我々は国際政治の場で、彼らの権利を追求し続ける」。オルバン氏は、ハンガリー人が自治権を獲得することを後押しし、事実上ハンガリーの支配下に置く意欲を示したのだ。

ウクライナの親米政権成立の余波

ザカルパチア州に投資する余裕がないこともあり、オルバン政権の行動を黙認していたウクライナ政府だが、2014年、状況が大きく変わった。反政府デモでウクライナの親露政権が倒れたのだ。親米政権ができることを嫌ったロシアは、軍事的な要衝であるウクライナのクリミア半島を一方的に編入。親露派武装勢力は同国東部の支配を目指し、ウクライナ軍と衝突した。