「老衰」は診断するのではない
——日頃のコミュニケーションで信頼関係が築けていて、患者さんも今後の見通しがあるということですね。ずっと診ているからこそ、わかる。「老衰」もそうでしょうか?
【花戸】そうですね、「老衰」は診断するのではなく、みんなで納得することが老衰だと思っています。だんだん歩きにくくなり診療所に通えなくなって、訪問診療を受けるようになり、寝てる時間が長くなって、ごはんが食べられなくなった。その長い経過を知っていて、その人がこうしてほしい、これはしてほしくないということを理解しているという付き合いがあり、振り返って家族や介護する人、ご近所の人、もちろん我々も、みんなが納得できて初めて死亡診断書に書ける病名だと思うんです。一回見た限りの医師が「これは老衰だ」と診断をつけるようなものではないと僕は思っています。
——それでは、だんだん枯れていけるような老衰で死ぬには、月並みですが信頼する医師を見つけることですね。
【花戸】病院に行くと自ずと「診断名」をつけられます。80歳90歳であっても飲食できないとなれば「脱水」など、何らかの病名をつけられ治療が始まる。それが決して悪いわけではなく、病院と在宅では役割が違って、診断・治療をするというのが病院の大きな目的です。
——なるほど。病院に行くかどうかも含め、患者さんが決める。
【花戸】そうです。例えば暑くて食べられないというおばあちゃんがいたとして、病院に行くと点滴などで栄養剤を入れるということができる。一方で家にいたら自分の好きな時間に寝たり起きたり、ご近所の人がおしゃべりに来たり。そして介護サービスを使えば、必要になったら口の中をきれいにしてもらったり、お風呂に入れてもらうなど、そういうアプローチで食欲が出るようになるかもしれません。
親の介護は、必ず目の前に現れる
——本書は現役で仕事をしている元気な読者に向けて書いています(もちろんそれ以外の方も歓迎します)。今、困っていないと自分の「死」がなかなか意識しづらいと思いますが……。
【花戸】2人に1人はがんになる時代です。まずは自分自身の健康に気をつけることですね。それから親の介護は、必ず目の前に現れます。自分の親はいつまでも元気じゃない、ということをしっかり認識しないといけません。それに向けてご本人の希望を聞く、対話を重ねることが大切だと思います。