経営破綻の理由

吉野家は本格的にフランチャイズ方式を導入した1970年代に急成長し、77年には国内100店舗を達成、翌年には200店舗を突破しました。

「早い、うまい、安い」を看板とした24時間営業の単品ビジネスは、戦後の高度成長期を終え、オイルショックの後遺症に苦しみながらも安定成長期に入り、「一億総中流」と呼ばれる豊かな時代に入った日本社会に支持されました。その一方で、陰では安価な輸入牛に頼ったビジネス戦略が崩壊しつつありました。

1973年に起こったオイルショックに苦しむ農家を救済するため、政府は74年に牛肉の輸入を一時的に停止する措置を講じました。このとき、松田さんが取り組んだのは、海外での加工でした。輸入を制限されていたのは生肉だったため、加工品ならば制限枠をクリアできたからです。たれの粉末化や生肉のフリーズドライ技術などを導入しましたが、うまくいきませんでした。

加藤一隆『「おいしい」を経済に変えた男たち』(TAC出版)

結果的に、たれの粉末化とフリーズドライ肉の使用により客離れが起こりました。加えて、アメリカでの事業の行きづまりもあって、吉野家は経営危機に見舞われることになりました。吉野家は1980年に会社更生法の適用を申請し、経営破綻しています。

経営危機の際、松田さんはフランチャイジーで大株主となっていた不動産会社から多額のお金を借り入れました。そのことがきっかけで松田さんは実権を失ってしまいました。

そこから枝分かれをしたのが現在、吉野家と並ぶ牛丼チェーンとなった「すき家」です。現在、牛丼チェーンは吉野家、すき家、松屋、なか卯などがしのぎを削っていますが、いずれも松田社長時代の吉野家の影響を受けているのです。

ビジネスモデルは間違っていなかった

松田流のフランチャイズシステムは成功要因でしたが、最終的にはそれに足をすくわれてしまいました。松田流の上意下達のシステムもうまくいっているときはよかったのですが、一歩誤ると誰もノーと言えない組織でした。

しかし、松田さん自身は自分が失敗したとは露ほども考えていなかったと思います。松田さんが作り上げた単品特化のビジネスモデル自体は、間違っていなかったからです。

幸いにも会社更生法によって吉野家はよみがえりました。しかし、それは吉野家を200店舗だった1978年の状況に戻しただけです。それが松田さんが正しかったことのなによりの証左です。

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