製造業に「単純作業」は少ない

生まれつきの頭の良さという恵まれた遺伝子を受け継いでいる人は、もちろんいると思う。しかしプロフェッショナルというのは、多くは「継続」による知識の増大によってもたらされるものである。

たとえば、自動車工場のおもに組立に携わるラインで働く人たちの働き方を見ていると、このプロフェッショナルという指摘がよくわかるのだ。彼らは単純労働に見える仕事に従事しているが、長時間観察していると、さまざまな「予期しないトラブル」に見舞われ、そのたびに変化への対応が必要となる。

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また工程に不必要な負荷がかかる仕事に従事したとき、組立工たちは、その負荷、つまり怪我をする危険性や、腰を痛める可能性、あるいは身体の特定な部分の過度な疲労に直面したとき、どうすればその工程がラクになるのかを考える。

その考えた結果を仕事に生かすことによって、ラインが確実に変化し、負荷が減少する。その負荷の減少は生産性の向上をもたらす。またラインの仕事は、ラインへの日々の対応だけではなく、製品の変化(製品の微修正や新しい製品の登場)やそれに合わせたラインの修正などがいつもあり、変化への対応はいつも新しい出来事である(中沢孝夫・赤池学『トヨタを知るということ』講談社、2000年4月)。

もともと製造業の現場に「単純労働」といわれる領域は少ない。単純な繰り返し作業は、自動機(ロボット)に置き換えられるのは必然である。ただしロボットに置き換えることが可能な仕事は、作業する人間がよく知っている仕事である。現場を知らない人間がコンピュータにより自動機を設計したりすることはできない。

たとえばワイヤーハーネスを通して機器をつなぐなどという作業はさほど難しい仕事ではないが、組み立てる対象によって、長い線、短い線、太い線、細い線、また本数、通す箇所の違いなど、無数に違いがあり、結局は手作業になるといった領域もある。

あるいはマイクロエレクトロニクスの進化は、金属工作機械などの場合――猪木武徳が指摘するように――働く人たちの技能と技術は、変化する段取りの重要性、故障の予知など非定形的な作業が多く、いつも新しい状況への対処能力によって形成される。つまり人間の知力が問われている(猪木武徳『経済思想』岩波書店、1987年7月)。