中小企業の現場でも同様である。筆者のASEAN諸国での実態調査の経験から見ると、熱処理、板金プレスなどの工場で、日本から現地指導に行った職工たち――日本のマザー工場で10年、15年と働いてきた――は、言葉がわからない初期の立ち上げの頃から、「やさしい仕事から、だんだん難しい仕事を、やってみせて覚えてもらう」ことによって、他国の勤労者に技術・技能を移転していた。
不足していると言われる「デジタル人材」とは何か
たとえば、製造業でいえば新しい製品を開発する力はどのようにもたらされるのか。あるいはサービス業の場合、他と異なったサービスの流れをどのようにつくるのか。そのことを考えてみよう。
それは、近年流行しているDX(デジタル・トランスフォーメーション)なる言葉と関わっている。
日本経済新聞の特集によれば(2021年12月6日)、産業界ではデジタル人材の育成を推進するため、社員の意識改革を促す有益な情報はないか、との声が寄せられているとのこと。「産業界ではデジタル化を進める人材が不足している」そうである。その理由のひとつに「誰が何を学べばいいのか」という「道しるべがはっきり示されていない」からだと。「デジタル技術にアクセスし、目的のために使う能力」をデジタルリテラシーというそうだが、要するにデジタル技術というのは「方法論」であり、その「道具」だということだ。
しかし社内の技術を中心とした「情報の共有化」は、どこの企業でも可能な限り進めている。その「人材が十分」かどうかは企業にもよるが、基本的に日本の企業は、どこでも必要な人材は「不足」しているものである。デジタル化人材だけが不足しているわけではない。
ただ仕事上で大切なことは、社内に「目的(課題)設定能力」があるかどうかである。それは新たな商品(製品)やサービスを開発するだけでなく、すでにあるものを改善・改革することも含まれる。
パソコンによる情報共有だけでは意思疎通は図れない
私たちが手にしている「情報」は、基本的に「既知」のものである。むろん既知のことを整理し、組み合わせを変えたりすることによって、新しい方法が開けることはある。だからそれは大切な方法論である。
ただ、AI(人工知能)と呼ばれているものが典型だが、巨大コンピュータにデータを投入する作業の「何をどのような目的で」という初期設定は、個々人の目的意識と価値観によって決まる。それはあくまでも「既知」の解析である。
仕事で大切なことは、「未知」のことが価値を生むという理解だ。それは往々にして不確実でリスクを伴う。それゆえ現実に開発が進んでいる技術やサービスはIoTなるもので察知できるものではない。それは同じ社内ですら全体で共有したり察知したりもできない。個々人の能力、ものの見方、考え方に、それぞれ異なりがあるからだ。共有できる領域も限られてくる。
単純な話が、パソコンによる情報の共有によって、社内の人間がお互いに何を考え、何に取り組んでいるかなど、わかりようがないのである。仕事は基本的に話し合うことによって始まる。それぞれが考えていることを、「摺り合わせる」ことによってこそ仕事は進むのだ。
かつて(2010年に発表された)経済産業省とビジネスジャーナリズムが組んで、ドイツ発の「インダストリー4.0」なる壮大なデマがものづくりの世界を席巻した。それはIoTの発達によって、一国の技術が企業の大小や種類が異なっても共通化するというものであった。しかし事実はまったくの夢物語で雲散霧消した。
それぞれの企業の持つ技術は、固有性があり、他と異なっていることによって成り立つ。