では、このような方針を打ち出す、長谷川とはどういう人物なのだろうか。
長谷川の朝は早い。毎朝4時過ぎに起床し、5時から瞑想を始め、自宅内でバイクを45分間こぎ続ける。そして7時45分には社長室の椅子に座っている。
夜の会合がない日は、17時30分に会社を後にし、妻と食事をした後は、時間があれば2人で散歩する。休日には、妻と一緒に皇居周辺を3、4時間歩く。こんな一週間を淡々と送っている。
「全力疾走しようと思えば、体調管理はしっかりとしてないと」
長谷川の言葉通り、自らを律して、全精力を傾けねば、タケダ230年の歴史をたやすく動かすことはできないだろう。
山口県で生まれ育った長谷川だが、高校は福岡県の名門校、修猷館高校を卒業している。他県に越境入学させたのは、少しでもいい教育を受けさせたいと願う、九州大学医学部を出て山口県で医師をしていた父の強い意向だったという。長谷川は、中学時代から福岡で、5歳上の九州大学に通う兄と2人で下宿生活をした。
「伸び伸び自由にやらせてもらった半面、新幹線もない時代ですから、帰郷するには、汽車で3時間半かかります。カネもないからそんなに帰れず、わびしさと切なさで泣いた。何が起きても、自分で解決する感覚は、そこで身についたのです」
その後、早稲田大学政経学部に入学、1970年に卒業してタケダに入社する。入社当初から長谷川は、選ばれし者として、順調に会社生活を歩んでいく。同社の文系社員には珍しく、MRを経験していない長谷川は、早くから組合活動に従事する。タケダの組合はいわば“裏の経営陣”で、経営者と同じ視点で情報を共有し、「経営」を学ぶ場でもあった。
長谷川は、39歳のときに「ドイツ武田」に出向して以来、タケダのヨーロッパ社長やシカゴにある米国法人社長など、欧米駐在年数は12年に及んだ。
(文中敬称略)
※すべて雑誌掲載当時