小さい頃は手話ができることが自信となっていた

ところが、実はコーダという言葉は、Eさんにとって手話と日本語のバイリンガルであるというアイデンティティとしてよりも、母親の通訳を行ってきた経験と結びつけられている。

【村上】もしよかったら、小さい頃のこととか、どんな。コーダとして小さい頃というか、だから、大人になる前。

【Eさん】なぜか分からないですけど、よく聞く話で「手話を見られるのが嫌」とか、そういうのは聞くかもしれないですけど、私、全くなかったと思うんです。逆に、「見て!」、みたいな。人と変わったことがきっと好きだったので。「手でお話ししてるの」とか、「手話できるんやろ、できるのがすごいね」とか、そういう自信はなぜかあったんですよね。聴こえないっていうことに対しても別に劣等感は感じてなかった、母とか兄が。

だけど、あるときから、やっぱり文章とかが苦手で、母が。ちょっと変というか、ろう者的な日本語文とかになったりするんですけど、そういうのをいろんな所で見て、感じ始めたときに、『私が直してあげないといけない』。また、『してあげる』とか、そういうところに結びついてきて。(無言)

ちっさいとき。やっぱりコーダだから、コーダとしての思い入れとか聞かれると、話すと、嫌な思い出ばっかり、なぜか。手話やから、コーダやから、『こんなすてきなことがあった』とかは、そんなにない。そんなにっていうか、今、思い出せるものがない。

写真=iStock.com/kool99
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「~してあげないといけない」がコーダとしての重荷になった

幼少期は手話に対してよい思い出を持っている。「手話できる」という力として感じている。「劣等感は感じてなかった」という言葉からは、周囲からろう者を差別されたという意識がなかったことが分かる。このことが、手話が好きというコーダとしてのアイデンティティとつながっていそうだ。

村上靖彦『「ヤングケアラー」とは誰か 家族を“気づかう”子どもたちの孤立』(朝日選書)

ところが母親が負っているハンディキャップを意識し始めたときに、それが「私が直してあげないといけない」「してあげる」という「おせっかい」することへの強制になる。そこから「嫌な思い出ばっかり」と価値づけが反転する。この場面では具体的に嫌な思い出の内容は語られなかったのだが、文脈からはヤングケアラーとして「〜してあげないといけない」という強制力のことだと考えられる。手話は好きだが、コーダとしての重荷は嫌なのだ。

Eさんとのインタビュー後半は、こめっこの話題とヤングケアラーとしてのコーダの経験を交互に語りながら進んだ。Eさんは地域で手話通訳を担うこともあった。しかし、「設置通訳にはなりたくない」とも語っている。手話を専業にすることへの抵抗感も、コーダとしてヤングケアラーだったこととつながっている。もともとこのインタビューはヤングケアラー調査のためのものではなかったのにもかかわらず、自ずとヤングケアラー役割が語られたというところに意味があるだろう。

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