定時で帰って毎週お菓子を作って職場に持ってくる

——この小説が「怖い」ような感覚をもたらすのは、定時で帰る芦川が、毎週、お菓子を作って職場に持ってくるようになるんですよね。作るのにすごく手間と時間のかかるケーキなどを持ってきてみんなに配り、それが余計に押尾をイライラさせます。

写真=嶋田礼奈/講談社
「頑張って働けてしまう人の苦しみを書いてみたいと思った」と高瀬さん。

【高瀬】私も執筆中は「芦川さん、なんで?」と思っていたんですけど、書き終わって、そこから離れて読み直すと、別に芦川は何も悪いことはしていなくて、体調が悪くて早退するのも当然だし、定時まで働いてプライベートの時間にお菓子を作るのも悪くない。弱い人への攻撃になるのは本意ではありません。しかし、もし自分が押尾の立場になり「今日も残業だな」と思っていたら、絶対イラッとしてしまう。頑張って働けてしまう人、周りから見ると「別に人生、困っているわけじゃないよね」と見える人のそういった苦しみというのは、あまり小説で読んでこなかったので、今回、書いてみたいなと思いました。

手作りの菓子を配る同僚女性にはどう接する?

——実際に芦川のようにタスクやノルマを平等に負担しないのに、家庭的な面をアピールしてくる同僚がいたら、どう対応したらいいのでしょうか。

【高瀬】私なら、手作りケーキをもらったら「わぁ、おいしい」と食べちゃうと思う。社交辞令で「どうやって作っているんですか?」とか率先して言ってしまいますね。そういう自分が嫌いなんですが……。芦川にとって、みんなが喜んでくれるから会社にお菓子を持っていって配るというのは、正しいことなんですよね。だから、具体的にどう対応すればいいのかは、読者の方に教えてほしいぐらいです(笑)。

——そんな“芦川さん”は、仕事ができる押尾や二谷に見下され、押尾は二谷に「芦川さんにいじわるしませんか」と誘いかけるわけですが、実は裏で二谷は芦川と付き合っています。これも“職場あるある”のリアルな人間関係ですね。

【高瀬】社内恋愛って秘密にしている人が多いですよね。男性の心理として、芦川の家庭的アピールは好きじゃないし、むしろムカついているのに、恋人として付き合うということはあるのではないかと。二谷は決して芦川のことを対等に見ていないし、仕事もできないからばかにしているんですけど、「かわいい」と思っている。ちょっと怖いですよね。付き合っている恋人とかパートナーをちょっとばかにするような人の言動を今まで見聞きしてきたので、「でも、一緒にはいられるんだな」と不思議に思いながら、そんな関係性を書きました。