介護施設への入居
連休明け。澤田さんは出勤できず、途方に暮れた。父親の帯状疱疹の腫れはひいたが、再び痛みが出れば叫び声を上げる父親をこのままにはしておけない。だが、いつまでも仕事を休めない。
澤田さんは、父親の古くからの友人で、家族介護を経験している人に相談した。すると、「介護サービスや介護施設を利用しては?」と勧められ、目からうろこ状態に。「介護の認定を受けていなくても、介護施設を利用できる」と知り、驚いた。
「80歳を超える父がいるにもかかわらず、そのときまで私は、自分の両親にとって介護なんて無縁のことだと思い込んでいました。世間知らずでした……」
当時は実家から徒歩15分の場所に、ショートステイができる施設がオープンしたばかり。澤田さんはその施設に飛び込み、受付で利用システムを訊ね、施設に入所するために、父親の友人からベテランケアマネジャーを紹介してもらう。
出勤するために、一刻も早く父親を入所させたかった澤田さんは、入所が決まってから介護認定調査を受けることに。ケアマネジャーのアドバイスで、母親も一緒に介護認定調査を受けると、結果は、父親要介護3、母親要介護1。
介護施設への入居を嫌がるであろう父親には、医師から「病院のベッドに空きがないので、新設の療養施設に入りましょう」と説明してもらい、退院の日に施設の車で迎えに来てもらった。その日は、救急外来を受診した日から、まだ1週間しか経っていなかった。
「突然、自宅から目と鼻の先にある見知らぬ施設に連れてこられ、父は目を丸くしていました。私は、『ここは病院関連の療養施設で、病院のベッドが空くまでの待機場所なのよ』と、嘘の説明をしました」
その施設長が親戚の親しい友人だったこと、スタッフたちが親身になってサポートしてくれたこと、そして地域の自治会役員などを引き受け、長老的な立場だった父親がその施設の利用者となることを、施設経営者が歓迎してくれたことが功を奏し、父親は快適に療養。
自宅から徒歩15分ほどの距離だったため、この頃は母親1人で自転車に乗り、面会に行くことができた。澤田さんは父親が入所している間、1人になる母親のため、頻繁に母親の様子を見に実家に通う。
父親の帯状疱疹は1カ月ほどで軽快し、その後はデイサービスとして自宅から施設に通所した。
「あの思い出したくないほど絶望的だった1週間で、われながらよく全てを決行できたと思います。こんな時、口だけ出してお金を出さない兄弟姉妹がいなくて、一人っ子で良かったと心底思いました」
だが、痛みが薄らいだ父親は、自分がどこにいるかを認識したのか、通所を続けることを嫌がるようになってしまう。
7月。澤田さんは、数年前から夏になると必ず体調不調に陥り、入院して栄養剤を点滴していた父親が心配だった。「帯状疱疹が治ったばかりで、体力が落ちている時に何かあってはいけない。介護保険で体力回復のサポートができないだろうかか」と考えた澤田さんは、ケアマネージャーに相談することにした。(以下、後編へ)